奄美考古学会大会

兼久式土器の編年検討について、研究成果を報告した奄美考古学会の第8回大会

6~11世紀を暫定編年案に
兼久式土器で研究発表 文様、共伴出土品検討

 奄美の市町村教育委員会で埋蔵文化財を担当する学芸員や考古学研究者らで構成する奄美考古学会の第8回大会が20日、奄美市名瀬の奄美博物館であった。同会は伊仙町に標識遺跡がある兼久式土器の研究を進めており、「奄美諸島における兼久式土器編年の最終討論」をテーマに、基調講演や研究成果を発表。同土器の文様構成などによる分類、共伴する出土品などから、6世紀後半から11世紀前半を暫定の編年とする案が示された。

 同土器は伊仙町の面縄第3遺跡が標識遺跡。奄美群島における沖縄貝塚時代後2期(古代相当期)の土器として多くの研究者に認知されているものの、編年は研究者によって見解が異なっていた。新たな資料・年代測定や研究成果の比較を行い、細分を進めるため、同会では第5回大会から研究発表を行っている。

 瀬戸内町教委の鼎丈太郎さんは「兼久式土器の暫定編年」について発表した。文様構成や組み合わせなど4項目に加え、土器の上部付近にある口唇部への刻目に着目した分類を設定。同土器が出土された群島内15遺跡、18地点の対象遺物を分析した。

 鼎さんは「前回大会では大きく2段階にしか時期を分けることができなかったが、今回は6世紀後半から11世紀前半の四つの時期にかけて、土器の主流が変遷していることを確認した」と報告。一方、同土器の出現、終焉など不明な点も多いことから、「今後さらに研究を深めていかなければならない」と意欲を示した。

 喜界町教委の野﨑拓司さんは、弥生式土器の流れをくみ、平安時代まで生産された素焼きの土器「土師器=はじき=」の出土状況から、兼久式土器の年代を分類。「資料数が少なく、今後の検討が必要」とした上で、共伴遺物などから9~11世紀に想定しているとした。

 報告を振り返り、同土器の研究を進める奄美市教委の高梨修さんは、「昔の研究者の定義にこだわるのではなく、標識資料に立ち返ることが重要」と指摘。「様々な視点から研究を進めてほしい」とエールを送った。

 21日には、同市名瀬の小湊フワガネク遺跡で現地視察を予定している。