二人のフラメンコダンサー物語

奄美ゆかりのフラメンコダンサー左・福山奈穂美さん、右側が徳田志帆さん=新宿区サザンテラス前で

いつかは奄美でも共演も

 【東京】東京新宿・伊勢丹会館6階にあったタブラオ(舞台のあるレストラン)「エル・フラメンコ」は創業42年、日本一の歴史を誇るフラメンコの聖地だった。その聖地が7月末に幕を閉じる直前の6日、奄美ゆかりのフラメンコダンサー二人がそろって舞台に立った。

 一人は福山奈穂美さん。奄美出身で、フラメンコと歩んで20年、指導者としても12年のキャリアを持つ踊り手だ。

 もう一人は徳田志帆さん。小学生の一時期を奄美で過ごし、現在はスウェーデンでフラメンコを指導している。

 そんな二人の舞姫が華麗に舞ったのが「道なき道」。フラメンコに人生をかける二人はどんな思いで、何を目指して踊り続けるのか。

徳田志帆さん(34)
「ビビっときた出会い」没頭する毎日に

徳田志帆さん

インターナショナルに活躍する鹿児島市出身の徳田志帆さん

 徳田さんの経歴はめまぐるしい。鹿児島市出身だが、父親が警察官だったため、常に転校に次ぐ転校。小学校の3年から6年までを龍郷町の秋名小学校で学んだ。妹は秋名で生まれ、名前は「明奈」。秋名を気に入った両親がつけたという。

 徳田さん自身は鹿児島玉龍高校を卒業後、映画監督を夢見て渡米。ロスアンゼルスの短大に進学して、旅、音楽、ウェブデザインなどを学び、テレビCMにも出演するなど、多くの経験を積んだ。

 帰国後、東京で生活するうち、23歳のときに大失恋。

 「気持ちはどん底。このままじゃダメになっちゃう。何でもいい、何か始めなくっちゃ」

 そんな中でフラメンコと出会った。

 「生まれて初めてジプシー音楽を聴いた瞬間、ビビッときた。これだ、これしかない」

 そのままフラメンコにのめり込み、日々踊り続けることに。2012年には日本フラメンコ協会主催の新人公演で新人賞を受賞。その勢いに乗り、3年前にはあっさりと脱サラして、単身スペインへ。

 「あなたの人生だから」と、父親もすっかりあきらめた様子で、縁談を勧めることもなくなったという。

 現在は縁あって移り住んだスウェーデンを拠点に、各地の大学や施設でフラメンコの指導を行っている。だが、同じヨーロッパでもスペイン文化の影響が希薄な周辺国では、フラメンコを受け入れる素地が十分になく、むしろ日本のほうがフラメンコ普及の環境が整っていることを痛感させられることに。

 もうひとつ充実感を得られないスウェーデンでの2年間。徳田さんはこの夏、東京や故郷でのフラメンコ教室や公演を行うため帰国した。鹿児島の姶良市文化会館加音(カノン)ホールでは近く、フラメンコ&ジャズの公演も予定されている。

 主に海外で奮闘してきた徳田さん、今年からは日本に拠点を移したいと考えている。ただ、東京を拠点にすることにはちょっぴり不安も。

 「生活は忙しいし、人の波には酔うし、押しつぶされそうな感じがするし…」

 それでもフラメンコの普及にかける夢には代えられない。

 「人生いろいろあるのに、何から何までぜ~んぶフラメンコにかけちゃって、いったい何してんだろうって思うことありますよ。でも、まだまだ私は自分との闘いの真っ最中。このまま、とことん行きますよ」

 徳田さんはきっぱりと言い、納得するまで踊り続ける決意だ。

福山奈穂美さん(46)
「これで駄目だったら島に帰る」覚悟で臨んだ新人公演

福山奈穂美2016

開業した「エル・フラメンコ」で踊る福山奈穂美さん 

 フラメンコと出会って20年がたった。「ようやく、少しは頑張ったんだな私、って思えるようになったかな」と照れ笑いする。

 奄美の自然の中で素潜り、木登り、虫いじりをしていた幼い頃にバレエに出会い、自宅でこっそり踊りの練習。大島高校卒業後は、調理師学校で教師をしていた。向いていなかったのか、まるで充実感のない日々。そんなときにフラメンコに出会い、激しい胸のときめきとともに、またたく間に恋に落ちてしまった。

 2001年に職を辞し、両親の反対を押し切ってスペイン・セビージャへフラメンコ留学。02年に帰国してフリーとなり、舞台やタブラオ中心に活動を続けてきた。

 04年には、フラメンコ教室「coralflamenco」を始め、東京を中心にクラスの数を増やし、岩手県盛岡市のフラメンコサークル「ペーニャ・デ・フラメンコ」の講師も務める。

 わき目もふらずフラメンコに打ち込んできたが、ふと将来に不安を覚え、「このままでいいのだろうか」と、自問自答を繰り返すようになる。懸命に答えを探るうち、翌05年、思い切って第14回フラメンコ協会新人公演に出演。「これで結果が出なかったら、踊りをやめて島に帰ろう」と覚悟を決めて臨んだところ、見事に奨励賞を受賞した。

 「もう必死。まさに背水の陣で、私の今後の人生が全部かかっていた」

 故郷に錦を飾れたのは06年。初の凱旋ライブを行い、親族や友人たちはもちろん、予想もしなかった多くの人たちから熱狂的な歓迎と声援を受けた。08年には初のソロライブ「青い空と海と太陽と・・」を「エル・フラメンコ」で開き、反対していた両親も満面に笑みを浮かべて喜んでくれた。

 福山さんは毎年のようにスペインに行き、フラメンコを学んでいる。一方で、奄美の文化や島唄のことを知らなさ過ぎると思うようになったという。幸い、最近は格安航空のおかげで奄美にも行きやすくなっている。

 「フラメンコを通して島を紹介したり、島にフラメンコを紹介したり、今までやったことのないワクワクすることをやってみたい。島唄とのコラボなんて楽しいかも…」

 そのためには、スペインと同じように奄美にも1カ月は滞在して島の文化を学んでいくつもりだ。今年からは、9月に行われる奄美市大浜海岸での「夏フェスティバル」にも初挑戦する。島唄とサンシンとフラメンコのコラボを体感できるのも、もう間もなくだ。

 では、この先、二人の舞姫が奄美や東京で共演する予定はないのだろうか。

 「ぜひやりたいわねえ。実現するといいなあ」

 異口同音に明るい声が返ってきた。