療育 のぞみ園20年(上)

昨年8月、新築の施設完成で佐大熊町から和光町の住宅地内に移転した「のぞみ園」。4月には開園20年を迎える

群島初の施設 横のつながりで産声

「これからも療育の質の向上を目指し児童発達支援センターとして名実ともに地域の核、拠点になってほしい。子育て支援の施設であり、お母さんなどが気軽に安心して相談できる場としてさらに歩んでもらいたい」

社会福祉法人聖隷福祉事業団(本部・静岡県浜松市、山本敏博理事長)が運営する、のぞみ園(福崎充所長)=奄美市名瀬和光町=は1996年開園、今年4月15日に20周年の節目を迎える。奄美群島唯一の施設として開設当時から関わってきた社会福祉法人三環舎理事長の向井扶美さんは、のぞみ園の今後に期待を込めた。のぞみ園開設に至った背景には、初代事務局長として向井さんが携わった奄美療育研究会の存在がある。

療育研が発足したのは、のぞみ園開園3年前の1993年。前年の10月、かごしま子ども療育センターの建設資金をつくる目的で、県内を巡回していたチャリティー上映会を障がい児をもつ保護者らが手伝ったのが、きっかけとなった。

その際に懇談会がもたれ、母親ら十数人が集まった。こんな声が挙がった。「わが子の障がいを宣告され、まだ受け入れることができず、外に出ることもできない。家にいると壁が押し寄せてくるようだ」「希望の星学園での母子通園はとてもいいが、月1回なので、毎日通える場所がほしい」「病院に1年以上も入院していて、やっと親同士の情報で県本土の南九州病院に行ったら『どうしてもっと早くこなかったんですか』と言われた」「南九州病院の3カ月の母子入院は経済的にも精神的にもつらい」――。映画会の合間には、障がいのある子どもたちの遊び(感覚統合)が行われた。それにより重度の障がいの子にも笑顔が見られた。子どもたちの喜ぶ姿に母親らは思いを強くした。「奄美にも療育の場がほしい」。

▽ネットワーク

障がい児の親の思いはやがて実を結ぶ。保護者を中心に医療や福祉、幼児教育に関わる人々らが参加して4回の準備会を経て、翌年の6月、こうした関係者のネットワークを目的に療育研が発足した。療育研では島内外から専門家を講師として招き学習会をしたり、大島養護学校の教員による遊びの会が行われた。そこでは特に保育士が熱心に学び、保育所が障がい児を積極的に受け入れる契機となった。

「最初は10人程度の準備会でスタートした。発足となる総会では50人の人々が会員になってくれた。お母さん方の願いである奄美での療育の場づくりに向けて共感者による横のつながりが形になった瞬間だった。お母さんたちと一緒にみんなで療育の場をつくろう、みんなで考えようという気持ちになった」。向井さんは振り返った。

ネットワークの力は行政を動かした。障がい児の早期発見では、県立大島病院の特殊外来として「小児発達外来」が設置された。さらに当時は全国的にも珍しかった少人数(5~10人規模)での心身障がい児通園事業が鹿児島県でスタートし、大島支庁の協力により奄美でも可能になった。療育研はボランティア団体だ。安定的な運営のために療育研の働きかけで、療育のノウハウがある聖隷福祉事業団に奄美での事業は委託された。直接的には同事業団が運営する春日保育所が当たり、心身障がい児通園事業のぞみ園が群島初の療育施設として産声を上げた。

開設されたのは公立施設だった佐大熊保育所の跡地。母親らが願った「早期発見→早期診断→早期療育」の一貫したシステム実現に賛同した当時の市長の後押しにより、療育の場として市の施設が提供(改修費用を予算化)された。

のぞみ園誕生後も療育研は遊具購入のための寄付活動に取り組むなど関わり続けた。2005年、療育研からステップアップしNPO法人「チャレンジドサポート奄美」が設立されたが、県の地域療育等支援事業を同NPOが奄美で担当。発達療育の相談支援や、専門家を招いての研修により療育の質向上など施設支援と、のぞみ園との関わりは今も続く。同NPOの代表は向井さんが務めている。

▽ボランティアから

のぞみ園開園当初の園長は春日保育所の所長が兼ねており、園長を除く実質的な職員数は3人。保育士として当初から勤務している大山周子さん=現在・児童発達支援管理責任者=は、のぞみ園とともに歩んできた職員の一人だ。音楽の教師を目指し、神奈川県にある昭和音楽短期大学に進学した大山さん。94年に奄美に帰島したが、呼び水となったのが療育研の発足を伝える地元新聞の記事だった。新聞記事を読んだ母親が大山さんに電話した。「記事に書いてあることは、あんたが東京で関わっていることではないの。東京での経験を古里である奄美で生かしたら」。大山さんは向井さんに連絡をとり、帰島後はボランティアで療育研の活動に参加した。

大山さんの母親が指摘した東京での経験、それは音楽療法だ。進学後、大山さんは音楽教師よりも音楽による療育の方に興味を持った。武蔵野市の障がい者福祉センターで非常勤職員として勤務。卒業後に保育士の免許も取得した。勤務したセンターで、大山さんは障がいのある子どもたちを対象にした音楽療法を学んだ。音楽がコミュニケーションをとる方法、表現する方法などとして用いられていた。

身体や心への働きかけ、脳への刺激、社会性の向上に音楽療法は効果があると言われている。大山さんが専門にしてきた楽器はフルート。演奏することで自閉症の子どもたちも音に関心を示し、感情が落ち着き、喜ぶ表情を見られた。こうした東京での7年間の経験を踏まえて、大山さんの実践の場はのぞみ園へと移った。

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「ていねいな保育」である療育により、障がいや発達につまづきのある子どもたちを受け入れての子育て支援。これがのぞみ園の役割だ。支援の対象は、当初の肢体不自由児(主に脳性まひ)から、自閉症やアスペルガー症候群、学習障がい(LD)などの総称である発達障がい児に変わってきたが、早期療育の重要性はいっそう増している。地域とともに療育支援の広がりを目指すのぞみ園の歩みを追った。
(徳島一蔵)