伊仙町「面縄貝塚」国史跡指定を答申

国史跡指定面積が計3万3376・3平方㍍に及ぶ「面縄貝塚」遺跡(赤点線部分) (伊仙町教委提供)

奄美・沖縄地域の縄文時代の集落の立地や、構造を示す典型的遺跡(面縄第2貝塚)の発掘調査=2002年12月当時(伊仙町教委提供)

国の文化審議会
奄美・沖縄、縄文時代研究の中心的役割「集落遺跡の典型」も

【徳之島】国の文化審議会(馬渕明子会長)は18日、伊仙町の「面縄貝塚」(同町大字中ノ当644番など)を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申した。同遺跡は九州島と沖縄地域の間に位置し、昭和初期から奄美・沖縄地域の縄文時代研究で常に中心的役割を果たした意義なども評価。官報告示で正式決定する。県内では28件目、大島地区では6件目、徳之島では2006年度の「徳之島カムィヤキ陶器窯跡」(同町)に次ぎ2件目の国史跡となる。

「面縄貝塚」遺跡(同町大字面縄字中ノ当など)の指定答申面積は面縄第1~第4貝塚を包括した約6000平方㍍のうちの3万3376・3平方㍍。年代は縄文時代後期(約7000年前)―中世(貝塚時代前1期~グスク時代=約600年前)。指定基準は「貝塚、集落跡、古墳その他この類=たぐい=の遺跡」に位置付けている。

面縄貝塚は、徳之島最南端のサンゴ礁の浅海に面した海岸砂丘上と石灰岩地帯に立地。1928(昭和3)年の発見当初から、九州島と沖縄地域をつなぐ土器群が出土。奄美地域の地理的・歴史的な重要性が注目され、1930年以降数次の発掘調査が行われた。伊仙町教育委員会の直近の遺跡範囲調査では約6万平方㍍にまで拡大している。

特徴としては、弥生時代の箱式石棺墓や古墳時代後半期―古代(貝塚時代後期)に属する貝層が存在する崖下と洞穴に立地する第1貝塚(面縄小学校横)。縄文時代後期の住居域である海岸砂丘上の第2貝塚(同小敷地など)。奄美地域の古墳時代後半期から古代にかけて分布する「兼久式土器」(約7世紀~10世紀ごろ)など標準遺跡の第3貝塚。縄文時代中期―後半にかけての崖下と洞穴およびその前面の傾斜部からなる第4貝塚―で構成している。

指定答申で文化審議会は、「奄美・沖縄地域の縄文時代における海岸砂丘および石灰岩地帯に立地する集落遺跡の典型」。また「九州島と沖縄地域との中間に位置し、両者の関係性の解明にとって重要。奄美・沖縄地域における縄文時代の集落の立地や構造を示す典型的な遺跡」と重要性を挙げている。