「自分のルーツはここ」

父・富吉さんの墓前に手を合わせるフランクさん

米国に住んでいた時の田畑富吉さんの写真(フランクさん提供)

50年前死去 父の墓前たずね来島
瀬戸内町蘇刈でハワイ在住の日系フランクさん

ハワイ・ホノルル在住で、航空パイロット派遣会社を経営する日系二世のフランク・タバタさん(68)が19日、奄美大島入りした。これまでわからなかった父・田畑富吉さん(享年58歳)の出身が瀬戸内町蘇刈と判明したため。14歳の時に父を亡くし、長らく自身のルーツを探していたフランクさんは20日、同集落の墓前で手を合わせ、「やっとルーツを確認することができた」と涙を落とした。

フランクさんによると富吉さんは1960年代、米国ニューヨーク市内で日本食レストランを経営。戦前米国に渡り、妻フローレンスさん(故人)と結婚してフランクさんをもうけた。鹿児島県出身であること以外、富吉さんは出生地や渡米の経緯などをあまり語らなかったという。

「自分は日本のどこから来たのか。ルーツを確かめるのは義務」として、9年前の来日時は新聞紙上で情報提供を呼びかけたが、収穫はなかった。

父親の故郷が判明したのは今年1月。たまたま母の遺品を整理した時、父宛の古い手紙に「Sokaru,Setouchi―Cho(蘇刈 瀬戸内町)」の文字を発見したことから。

すぐに公私にわたり、フランクさんと親しくしているANAホールディングス㈱グループ経営戦略室部長の豊島進さん(60)に相談。友人の依頼を受けた豊島さんは、奄美の地元関係者の協力で富吉さんの実家、家族関係、親族の所在について突き止め、今回の訪問が実現した。

この日、フランクさんは田畑家直系の親族が集落を離れた後、同家の墓の管理をする同町勝浦の山畑末吉さん(89)の案内で墓前に立ち、墓石に刻まれた父親の名に手を添え、合掌して頭を下げると肩を震わせた。

奄美では当時の富吉さんを知る親族と面談することも出来、若い頃から行動的で単身渡米してから、音信は途絶えていたため富吉さんの母親が身を案じていたエピソードなどにも触れ、富吉さんの生家を見ることができた。

また18日は、兵庫県西宮市に在住する、伯父・清二さん(故人)の子どもたちと同市内での面会も果たした。

フランクさんは集落の目の前に広がる海を前に、「父の生まれ故郷は自然に恵まれ、とても雰囲気の良い環境だとわかった。墓参りには、必ずまた訪れたいです」と笑みを見せた。