疎開船「武州丸」慰霊の夕べ

中学生たちの「平和の誓い」朗読も=25日夕、徳之島町亀徳

「平和の誓い」でアピール

 

徳之島町亀徳 中学生の朗読も

 

 【徳之島】「戦争から逃がすために疎開船に乗せたのに…」。太平洋戦争末期の1944(昭和19)年9月25日、鹿児島に向けて航行中の十島村中之島沖で米軍潜水艦に撃沈され、148人が犠牲となった疎開船「武州丸」の悲劇から73年。武州丸と平和を考える会主催の「武州丸慰霊の夕べ」が25日夕、今年も徳之島町亀徳なごみの岬の同慰霊碑の前であった。

 武州丸は、当時の旧日本軍徳之島守備隊の要請と県知事の疎開勧奨により、徳之島町の亀徳、井之川、山、尾母地区の幼児学童・女性・高齢者ら計152人を乗せて集結先の瀬戸内町古仁屋港を出港。だが、同日午後9時ごろ、米軍潜水艦の魚雷攻撃を受け、148人もの尊い命が船と運命を共にした。

 慰霊の夕べには、遺族関係者や井之川中と天城小の児童生徒含め約30人が参加。黙とうして花や線香を手向けて冥福を祈った。武州丸と平和を考える会の幸多勝弘代表は「ご遺族が高齢化する中、武州丸撃沈の悲劇を伝え、平和な世の中が続くように」と述べ、武州丸の元乗組員(操舵手)で生存者の澤津橋務さん(92)=南九州市=のメッセージ(電話録音)も紹介した。

 朗読サークル「いきゅんDo」の渡辺久世さんに続き、井之川中の岩崎琉祐君ら1年生7人が「平和の誓い」を朗読。「犠牲者には1歳にも満たない赤ちゃんが5人、私たちのような小中学生も77人。戦争から逃がすために疎開船に乗せたのに。家族が離れ離れになっても、この子の命さえ助かればいいと願って乗せたのに…」。当時の親、教師の気持ちにも思いをはせつつ「どんな理由があろうとも、戦争をしてはならない真実を、1人でも多くの人に伝え届けます」とアピールした。

 会場には、疎開者終結地となった古仁屋港に向けた伝馬船「福丸」に家族5人で乗船、米軍機の機銃掃射で7歳と5歳の妹2人を失った遺族の米田正英さん(81)=徳之島町亀津=の姿もあった。