徳三宝しのび墓参り

徳三宝しのび墓参り

徳三宝の墓参りに集まった人たち

僧侶の読経の中、徳三宝の墓前に有志らが集った。中央が指宿清秀さん

徳三宝の偉業を示すように、各大学の名前が刻まれている頌徳碑の背面

徳之島出身・柔道家 「強力無双」「講道館四天王」
おいの指宿さんも参加思い出話など語り合う

 【東京】「強力無双」「講道館四天王」と称され、1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で非業の死を遂げた徳之島出身の柔道家・徳三宝の恒例の墓参りが、このほど行われた。江戸川区にある最勝寺(平井1―25―32)で有志が墓前に花を手向け、僧侶(甘味けんじ=伊集院弘仁さん)の読経の中、故人をしのんでいた。

 「徳三宝の存在を次代に語り継いでいきたい」との思いで集まったのは、「徳三宝会」会長の大吉平造さん、世話役の利成彦さん、重久正光さん、昨年12月に行った「第1回徳三宝生誕の会」の代表世話役・安田武光さんら11人。徳三宝のおいで、国立国会図書館長や参院事務総長を務めた指宿清秀さんも元気に顔を見せた。

 陸軍士官学校時代に何度も平井にあった三宝の自宅を訪ねたという指宿さんは、「とにかく寡黙な方で2時間も3時間も正座したまま。時折、『お母さんは元気か』というぐらいだった」と振り返った。

 三宝は、鹿児島の中学校で柔道を始め19歳の時に上京して講道館に入門。生まれつきの負けん気で猛練習を重ね、「講道館の鬼」と言われるほどに。武勇伝も数多く残している。

 亀津小学校入学当時から体も大きく、腕力のあることから友人から「サイゴウ」と呼ばれたという。後年は大学で柔道師範となり、道場(研道館)を寺の近くに開き子どもたちに教えていた。

 「目黄不動尊」としても知られる最勝寺の入り口には江戸川区教育委員会による境内掲示があるが、そこには「柔道の鬼と言われた徳三宝の頌徳碑(しょうとくひ)と同夫妻の墓があります」との説明があった。

 東京大空襲時には、埼玉・豊岡の陸軍兵学校の兵舎にいた指宿さんは、「東の空が真っ赤に焼けるような風景を見て関東あたりで大変なことがあったのではと嫌な心持ちとなった」。そう当日のことを語った。

 ほかに参加したのは、藤井壮望さん、松山哲則さん、新井田勝さん、柳栄輔さん、大江誠隆さん、岩井克己さん。墓参りを終えた人たちは、場所を変えて、故人の思い出話などを語り合っていた。