岐路に立つ技術継承

奄美の伝統文化として親しまれる舟こぎ。坪山さんは、奄美大島で唯一アイノコづくりを続けている=坪山さん提供=

「舟づくり絶やしたくない」
坪山良一さん 唯一のアイノコ船大工

 先週梅雨入りした奄美。夏の到来も近い。奄美の夏の風物詩と言えば、一つに舟こぎが挙げられるだろう。祭りなどでチーム対抗、集落対抗などのレースは見る人を熱狂させる。選手たちが乗る舟は「アイノコ」と呼ばれる板付け舟。材料の板材を接ぎ合わせた構造だが、1艘=そう=完成させるまでの過程では熟練の技が求められる。坪山良一さん=奄美市名瀬=(54)は、奄美大島で唯一アイノコを作り続ける船大工だ。奄美の伝統文化として定着する舟こぎ。一方で継承されるべき技術は、今岐路に立たされている。

 沖縄の漁師が乗っていた舟「サバニ」の形に倣い、奄美群島で伝統的に使われていた「イタツケ(板付け)」の工法で作ったものが「アイノコ」。大正時代に考案されてから、奄美の漁師たちにも普及していったとされている。

 アイノコは、5枚の板材をつなぎ合わせて出来る。材料には軽量で強度があり、吸水性が低いオビスギを使う。
製作する過程で最も高い技術を要するのが、板材を曲げる作業という。水面をかき分ける船首、また船尾は、曲線を描くように舷(船の両側面)とつながっている。

 「曲げる時に割れることが多い。木と会話しながら上手に曲げていく必要がある。『ピキッ』と鳴ったら終わり」、「ほぼ9割出来上がったところで、地響きのような音とともに割れたこともあった」。熟練した技の裏に、作り上げるまでの苦労も見え隠れする。

 30歳の時にUターンし、父・豊さん(87)に師事して、手伝いながら仕事を覚えた。「技術は全て親父から学んだ。職人さんが良く言うじゃないですか?『見て盗め』」。「夕方に親父が帰ってから、昼間横で見た作業を思い出しながら、実際に自分でもやり、頭にたたき込んでいった」。

 二人三脚で舟づくりする日々がしばらく続いたが、いつしか坪山さん1人で作るように。「最初の頃は1週間に6日来ていたのが、4日、2日になり、ある日から工場に来なくなって、気づけば1年くらいになっていた。一緒に作り始めて10年くらい経った頃だと思う」。

 それから間もなく屋号を「坪山船大工店」に替え、坪山さんは店主として新たなスタートを切った。現在、作る船の約8割はFRP(強化プラスチック)製の船で、カヌー・カヤックの受注を全国各地から受けている。個人事業主レベルではハードルが高いとされる、日本カヌー連盟の公認も受けた。

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 夏を迎えると、群島内各地で見られるようになる舟こぎ競争。祭りなどでは、見る人を熱狂させる名物イベントだ。アイノコを作る貴重な船大工として、坪山さんには祭りを主催する自治体などからも製作依頼が入る。

 奄美の文化として定着する舟こぎだが、舟を作る後継者の育成は喫緊の課題に。坪山さんが技術継承の困難さを改めて強調する。「普通の人だったら100枚曲げて、1枚だけ割らずにできるかどうか」、「曲げてひねるという技術はなかなか難しい。繊維など1本1本の性質が異なるなかで、どんなわがままな木でも同じように曲げなくてはいけない」。

 一人前として作れるようになるまでには、数年を要するという。「早くて3年、人によって5、10年はかかる」「僕もあと10年できるかどうか…。日頃から、ケガなどしないよう注意して生活している。事故か何かに遭ったらと想像すると『ぞっとする』。後継者の育成を焦らなくてはいけないが、どうすれは良いのか…」。坪山さんが苦しい胸の内を吐露した。

 父・豊さんとの親子2代に渡るアイノコづくり。引き継がれた匠の技は、今転換点に立たされている。「半分諦めもあるが、アイノコづくりを絶やしたくない…」。「『覚えたい』という人が現れてくれたら最高」。坪山さんの目にかすかに光がともった。
 (平真樹)