論文集『奄美・沖縄諸島先史学の最前線』

論文集『奄美・沖縄諸島先史学の最前線』
学際的研究の成果を収録
新知見から今後の研究課題も

 先史学は歴史時代以前の人類と文化を研究する学問と言える。長年奄美・沖縄諸島で先史時代(主に貝塚・グスク時代)の研究を行っている鹿児島大学国際島嶼教育研究センターの高宮広土教授が編著者となり、昨年1月のシンポジウム「奄美・沖縄諸島先史学の最前線」の内容を含め専門家のコラムや研究者の論文を追加して同名の論文集『奄美・沖縄諸島先史学の最前線』=写真=として刊行。高宮教授はまとめで、過去約20年間の研究成果で多くの新知見が得られ、それらから疑問あるいは研究課題が提供されて、今後の発掘調査によりさらなる新事実が解明されるだろうとしている。

 第1章と第2章は奄美・沖縄諸島の考古学に関する章。第1章を執筆した鹿児島大学埋蔵文化財調査センターの新里貴之助教は、貝塚時代の後1期(弥生~古墳時代相当)の土器文化にフォーカスし、ゴホウラ・イモガイやオオツタノハ、ヤコウガイといった貝類が扱われた「南海産貝交易」を背景とした物流と人の動きが、奄美・沖縄諸島の在地土器様式の弥生化という現象に現れる点を指摘している。

 第2章は、伊仙町教育委員会の新里亮人学芸員が担当。琉球列島史が長期的で継続性の高い狩猟採集の時代と、農耕の普及から一気に王国成立へと駆け抜けるスピードの速さのアンバランスさが特徴だとする。

 第6章は高宮教授の先史時代の植物食利用に関するもの。奄美・沖縄諸島の遺跡発掘では、1990年前半からフローテーション法が炭化植物遺体など回収する目的で導入された。回収された植物遺体から奄美・沖縄諸島には狩猟採集民が、数千年以上に渡り存在していた点が明らかになって来ているとした。

 また奄美諸島5島の専門家の貝塚時代などに関するコラムも、本論の内容を補完するものになっている。奄美市の奄美博物館・高梨修学芸員は、小湊フワガネク遺跡から出土した動物遺体から得られた知見を紹介。魚類が大半を占めており、サンゴ礁の魚類だけでなく内湾~沖合性のホシレンコが出土したことから、冬期に利用された季節性や舟釣りが行われていたことを報告している。

 天城町教育委員会の具志堅亮学芸員は、同町の下原洞穴遺跡の爪形文土器(約7千年前)とそれ以前の可能性のある土器などの発見を紹介する。和泊町教育委員会の文化財担当の北野堪重郎さんは、沖永良部島では県指定文化財の中甫洞穴遺跡から連点波状文土器が発見されていて、前1期(約7千年前)からグスク時代(11~15世紀)までの遺跡があることから、継続して集団生活が営まれていたことを示している。

 与論町教育委員会の文化財担当の南勇輔さんは、沖縄考古学会の呉屋義勝さんと与論郷土研究会の竹盛窪さんと共同で実施した遺跡分布調査を報告。48カ所の遺跡が新規発見され、島内に78カ所の遺跡が存在し約5千年前とされる遺跡も確認された。

 喜界町埋蔵文化財センターの野﨑拓司さんは、城久遺跡群などのグスク時代の遺跡からアワ、オオムギ、コムギあるいはイネといった栽培植物が検出されていることを紹介。城久遺跡群では時代が新しくなるにつれ、イネからオオムギに主体が移る傾向があると指摘する。

 同町の手久津久地区の崩リ遺跡からは、12世紀代の製鉄を証明する鉄滓=てっさい=や炉壁を発見。北野さんによると沖永良部島のグスク時代の前当遺跡でも、鉄滓、ふいごの羽口および鍛冶遺構が確認されているという。

 今回の書籍化は、奄美・沖縄諸島の先史時代に関する貴重な知見を提供するもの。シンポジウムに参加した人や、そうでない人にもダイナミックな奄美・沖縄諸島の先史時代の一端が理解できるだろう。
                                           (松村智行)