警視庁警察学校長・警視長任命の龍一文さん(60)龍郷町出身

警視庁警察学校長・警視長に就任した龍一文さん=府中市朝日町の警察学校校長室
 

警視庁警察学校の正門

「基礎しっかり教えられる学校づくり目指す」
「伝統と歴史引き継げる人材づくりを」

 【東京】今年、還暦を迎えた元捜査一課長の龍一文さんは、2月に警視庁警察学校第113代校長に任命された。たたき上げトップの職。「島の宝どぅ」と満面に笑みを浮かべて大島高校の後輩のことを話す東京奄美会の重鎮、英辰次郎さん、豊島敏夫さん、藤井壮望さんらが府中にある同校に龍校長を表敬訪問する際に同行して話を聞いた。

 ノンキャリアのトップとは、地域部長と生活安全部長と警察学校長。この職は国家公務員で龍さんは内示を聞いた時、「びっくりした。警官になるときに入学した原点のところへ行けるなんて身に余る光栄」と新たに気を引き締めたという。
 龍郷町瀬留出身。大島高校の部活で続けた柔道を生かしたいと思い、当時は中野にあった警察学校に進み、月8万円の給料をもらいながら、一年間教練に励んだ。1977年3月、杉並警察署に警察官として配属された。

 成田交番勤務を経験後、その後の華麗な職歴を列挙すると、上野警察署刑事課長(2002年)、町田警察署副署長(07年)、北沢警察署長(09年)、警視庁鑑識課長(10年)、同捜査一課長(12年)、渋谷警察署長(13年)、ストーカーやDV対応を行う人身安全関連事案対策本部副本部長(15年)その後、刑事部参事官、総務部参事官を経て現職に。

 これまでの仕事で一番印象に残ることは捜査一課長になった12年。「関東安陵会(大島高校同窓会関東支部)が開かれていた6月3日にオウム真理教関係者が逮捕され、会場の上野を後にした時かな。うれしさと緊張が入り混じっていた」と語り、いつでも職務にやりがいと誇りを持って臨んでいるが、特に「捜査一課長の時は苦しいことがいっぱいあったけど、被害者の無念を晴らすことができたので良かった」と胸を張る。

 現在1301期生ら含め約1500人の学生が全寮制でテレビのない個室に住み、半年、もしくは10カ月の教練を受けている。校長として行う学生たちへの「訓育」では、新しい時代にあった夢と志を実現する「歴史創新」を説き、そのためには、自分自身を改めるという自己維新が重要で二つの大事なことを伝えるという。

 それは一つが「匠に(たくみ=最高の仕事をする人)になることで、「三つの念」があり①執念(成功するまでやめない)②丹念(丁寧、真心を込める、仕事に手抜きをしない)③情念(思いやりがあり、愛情が深いこと)で、二つ目は「与える人」になることで、自己犠牲で難題に立ち向かう人になって欲しいと話すという。

 また、校長としての学校運営については「職員たちが、基礎をしっかり教えられるように臨んで欲しいし、これまでの伝統と歴史を引き継げる人材づくりにつとめたい」と熱く語った。

 NHK大河ドラマ「西郷どん」が放送されているが、奄美の名家・龍分家の家の娘「愛加那」とは縁=ゆかり=んちゅでもある。系譜を自ら調べてはいないが、幼いときから祖父の隆さん(故人)と母親のイトヨさん(86)に口すっぱく言われた言葉がある。「龍家の名に恥じないように」と。これを旨として誇りを持って生きてきた名前だ。「はげぇ、今でもジッチャンとおふくろの言葉は残っているよ」。

 今回の校長就任にあたっては、奄美市住用町和瀬の施設に入居する母親には知らせてはいないが、6月末に行われる「大高未来塾」で講師として訪れることから「おふくろには久しぶりに会えるから、そのときでいいが」と方言で声を弾ませた。
 
 

取材メモ

 この日は、紅茶マスターで龍さんの後輩でもある吉緩詩子さんも訪れ、奄美ブレンドティーがふるまわれた。東京奄美会の重鎮たちにも好評で、奄美が校長室を席巻した。この粋なはからいも龍校長自らの案。

 記者自身はいろんな局面で龍さんに相談に乗ってもらっているが、島の同窓生や後輩たちの相談にもいつでも気軽に乗る。その気さくで飾らない人柄は、校長になっても全く変わらない。

 取材後にも引きもきらない来訪者への変わらない対応が人柄のすべてを物語る。訪れた人たちに大いに奄美の宣伝をしていた。

    (永二優子)