国史跡「カムィヤキ陶器窯跡」

約3年間を費やし、数万点の破片の一部を接合・修復したカムィヤキ陶器の一部=16日、伊仙町

歴代の調査協力者ら専門家をパネリストに「カムィヤキ陶器窯跡」史跡に保存・活用を考えた

「史跡に誇り、当事者意識を」
伊仙町 保存活用へ成果と公開シンポ

 【徳之島】「徳之島カムィヤキ陶器窯跡」(国指定史跡)をめぐる2018年度埋蔵文化財公開事業(伊仙町教育委員会主催)が16日、同町ほーらい館であった。「南島史研究上、20世紀最大の発見」とも評された1983(昭和58)年以降の発掘調査で採取、収蔵した陶器片の修復成果の一部も一堂に公開。一般対象の展示・解説・体験ブース、公開シンポジウムで〝地域の宝〟の価値観を共有し、保存・活用のあり方も考えた。

 テーマは、「きて、みて、まなぶ、徳之島のカムィヤキ~焼き物づくりから歴史を知り、語る」―。第1支群(阿三亀焼支群)発見から35年、2007年2月の国史跡指定から11年。従来の計7支群(窯跡数約100基)に続く遺跡範囲など拡大の可能性、陶器搬出港の解明などの継続調査と併せ、窯跡から採取・収蔵されていた数万点の陶器片の接合・修復作業も約3年前から着手。その一部成果(約50点)の一般公開とも併せて計画した(町教委・新里亮人学芸員)。

 公開シンポのテーマは「これまでのカムィヤキとこれからのカムィヤキ」。県教育庁文化財課の森幸一郎氏を司会に、▽須恵器(6~9世紀)窯跡活用の先進例で赤司善彦氏(福岡県・大野城市ふるさと館長)▽調査・研究協力の池田榮史氏(琉球大教授)▽近江俊秀氏(文化庁文化財第二課調査官)▽初の発掘調査に協力した新東晃一氏(元県埋蔵文化財センター)▽大久保伊仙町長▽発見者の四本延宏氏(同町未来創生課)の6人が登壇した。

 文化庁の近江調査官は「『窯跡を再発掘して展示を』との声もあるが、雨と草で遺跡が壊れ、次の世代は本物の窯跡を見る機会が失われる。島の宝の文化財を良い方向で継承していくことが保存。活用計画とは、遺跡の価値をしっかりと残し、地元の人たちに誇りとなるよう伝えていく行為」。その上で「学者だけでなく、地域の皆さんが当事者であるとの意識でカムィヤキに向き合って欲しい」ともアドバイス。

 琉球大国際地域創造学部の池田教授は「遺跡が考古学研究者だけのものでなく、島の人たちの〝アイデンティティの拠り所〟になる状況を作るためにも、活用の部分をしっかり推進。常に耳目を集めることを発信できる状況づくりも必要」と述べた。

 会場では、地道な接合作業で修復された甕(かめ)や壺(つぼ)など成果の一部が大きな注目を集めた。パネリストら専門家によるポスター解説、体験ブース(焼き物体験・文化財修復)も設けられ、家族連れで楽しむ姿もみられた。

 【カムィヤキ陶器窯跡】「カムィヤキ」はグスク時代(11~14世紀)に徳之島南部で製作された陶器の総称。名称は窯跡が最初に見つかった伊仙町阿三字亀焼に由来。うつわの種類は壺、甕、鉢、水差しなど。搬出された範囲は、琉球列島全域から北は県本土の出水市や長崎県大村市など九州西海岸沿いの遺跡まで1000㌔以上。「琉球列島グスク時代の焼き物センター」とも称されている。