~歌姫~城南海物語 01=音楽との出会い

笑顔で記念写真に収まる城南海(中央)。左が南海にとって「音楽の母」とされる福崎郁代

証言者が紡ぐ奇跡の10年
豊かな自然と音楽愛情あふれる環境で成長

 城 南海。奄美出身の歌手が、この1月にデビュー10周年を迎えた。漆黒の澄んだ瞳の少女が、澄み切った青一色の故郷をあとに、希望を抱き大都会で夢に向かい、歌を通じて人々を魅了してきた。平成元年生まれの歌姫が、平成最後の年に改めて向かうのは、どこのステージなのか。「みなみちゃん」の半生に、さまざまな人たちの証言で迫りながら、10年の軌跡を追い掛ける。

 「うがみんしょーらん。来てくれてほんとにありがっさま…」。1月27日奄美文化センター。ステージには、何回も立っている。だが、この日は特別だった。時の流れが脳裏を駆け巡った。いつものように、はつらつとあいさつしたが、目の前は少し曇って見えたに違いない。音楽との出会いは、2歳。当時住んでいた家の近くにあった福崎郁代のピアノ教室だった。母親に連れられた南海が、「母親のスカートを握っていたのが印象的だった」と振り返る福崎だが、幼子に似合わぬ、強烈な目の輝きも心に残っていた。とはいえ、いまの状況は全く予想していなかった。「気が強い方です」。そう自己分析する南海だが、そんな要素はこの頃からあった。喜怒哀楽をあまり表に出すタイプではなく、むしろ感情をコントロールするのがうまかったようで、「子供らしくないといえば、そうだったのかなあ」と父親の泰夫は笑うが、「一度決めたことは妥協せず、やり遂げる。それは昔も今も変わらない」と愛娘を評価する。「ひとことで表すと、動じないというか、自然体で自分を持って音楽に応じていましたね。音楽に一生懸命に取り組む姿勢は、今もあの頃も変わってませんね」(福崎)。わずか2歳だったため、「幼かったから、初めて触れた鍵盤の記憶はありません」と南海は、遠い目で話すが、周囲に与えた存在感は群を抜いていた。豊かな自然が四季を映していく中で、父親の聴くクラシック、時折FMから流れるシマ唄、そして、自身が奏でるピアノの調べが魂にすり込まれていった。「本番に強いし決める!」「皆のことをよく見て洞察力がすごい」「ボーッとマイペース」。共に福崎の教室に通い、コンクールなどで過ごした仲間の声の一部である。当初「南」と命名されるはずだった。だが「姓も一文字なので、バランスを考えて二文字に。南の海のようにおおらかで広い気持ちの子になりますように」との思いが込められた1989年12月26日。同じ鹿児島県出身で、深く信頼を寄せ合う西田あいは、「歳の離れたお兄ちゃんがいるので、みーちゃんは完全に妹・末っ子キャラ。甘えん坊でマイペースなかわいい妹のよう」と目を細める。周辺は、愛情であふれていた。とはいえ、2009年のデビュー曲が「アイツムギ」になることは、誰も知るよしもなかった。(高田賢一)=敬称略・毎週末連載