勝浦集落遺跡 人骨14体が出土

勝浦集落遺跡 人骨14体が出土

勝浦集落遺跡の人骨を調査する竹中教授(右)と鼎さん

他市町村との比較研究期待
瀬戸内町教委調査 鹿女短・竹中教授が指導

 瀬戸内町教育委員会は24日、同町古仁屋船津の町埋蔵文化財センターで今月15日までに町内の遺跡から出土した人骨の調査を行った。鹿児島女子短期大学の竹中正巳教授が指導に当たり、人骨の分類などを実施。時期不明だが、今後の調査で、宇検村や喜界町など他市町村の出土人骨との比較研究が期待される。

 人骨が出土したのは、同町の勝浦集落遺跡。同遺跡は砂丘上に立地し、1988年に県の分布調査で発見された周知の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)。

 同センターの鼎丈太郎学芸員によると、遺跡内の合併浄化槽設置工事中に人骨を発見。施工業者が瀬戸内署に連絡。同署から事件性の有無について現地立ち会いを求められたという。

 14、15日にかけて出土地点に立ち会い、約1・5㍍×約1・5㍍の範囲を、深さ約1・5㍍掘り下げ層位確認や人骨の取り上げを実施。鼎さんは「地表面から約40㌢下がった層から、人骨やシャコガイなどが出てきた。その下にも間層を挟んで、もう一つの人骨が出る層を検出した」。

 攪乱=かくらん=層の中からは土師器の坏=つき=とみられる土器片が出ており、鼎さんは「取り上げた人骨は、古墳時代~古代の可能性がある」と推察。また上位の層からは、人骨の上にシャコガイを配置する埋葬例を確認したという。

 この日、午前中から竹中教授が調査に参加。人骨に付いている土を落とす作業と並行しながら、埋葬された人骨を確認して数などを検討した。

 竹中教授は頭蓋骨などから少なくても、「大人10体と子ども4体の合計14体が出土した」と考察。「奄美大島南部では、宇検村の屋鈍遺跡ぐらいしか人骨はまとまって出ていない。それに次ぐ資料だろう。時期が今後の研究でわかれば、屋鈍遺跡や喜界島の城久遺跡群の資料との比較研究が期待できる」と語った。

 鼎さんは今回のケースが工事中の発見だったことから、「周知の遺跡で工事などする場合は、事前に教育委員会に連絡してもらいたい」と呼び掛けている。

 出土した人骨は同大学に持ち帰り、詳細な分析を行う予定。