~歌姫~城南海物語 03=ウタアシビ(後編)

三味線を抱えて笑顔でステージで熱唱する、デビュー仕立ての城南海

証言者が紡ぐ奇跡の10年
若手唄者たちと濃密な時間を協演!大成功となった〝地元でのデビュー〟

 ウタアシビは、城南海のデビューへの道のりを追い掛けたKTS(鹿児島テレビ)のドキュメンタリーの一環で行われたものだった。場所の提供を快諾した、奄美料理店「ならびや」の主人・和田孝之が協力して実現した。兄の影響で三味線を持ち、ウタアシビを経験している彼女にとって、地元での初舞台となったのである。

 「とてもほがらかな優しい雰囲気の女の子という印象。初めての会話は緊張した面持ちで『よろしくお願いします』初々しかった」と唄者・前山真吾は述懐する。和田の呼び掛けに集まったのは、「グループゆらゆい」の唄者たち。前山のほか、中村瑞希、山元俊治、別府まりか。南海の歌唱力を知らなかった和田は当初、ウタアシビで、彼女が浮いてしまってはいけないと、それ相応の人たちを呼ぶつもりでいた。ところが、事前に唄を聞かせてもらい、それが杞憂と悟った。むしろ最大限に生かすだろうと、後に優勝、大賞に輝く、奄美の民謡界をリードする精鋭たちを、立て直す前の2階奥の座敷に勢ぞろいさせたのだった。「いろんな唄を教えてください」。南海のあどけない笑顔から発せられた言葉を皮切りに、「ウタアシビ」が始まった。「朝花」「行きゅんにゃ加那」「国直米姉」などが響き渡った。掛け合いが重なる中で、旧友と再会したかのような空気が漂い、南海の表情も柔らかくなっていった。「こんなに素晴らしいシマ唄を唄う子がいたんだと驚いたと同時に、まだ19歳で歌手に?」。前山は、南海がアーティストとしていかに成長していくのかが楽しみに思えた。スカウトに携わったポニーキャニオン開発責任者で、久保田利伸、安室奈美恵ら多くのアーティストと関わった河野素彦は、「シマ唄との化学反応が、彼女の個性作りに大きな影響を及ぼしていると思う」。また、鹿児島県立松陽高校の担任として音楽を教えた増森健一郎は、「小さい頃からピアノを習っていたことから、もともとソルフェージュ力(音程感、リズム感などの音楽の基礎的な能力)が非常に高く、加えて天性の美声を持っていることから、シマ唄もすぐに身についたと思います」。

 郷里の唄文化を、羽ばたく力として既に吸収していた。3時間ほどの濃密な時間が過ぎていった。唄者たちが応援団となり、店にいた人たちを巻き込んでの壮行会に。島の人たちの温かさに、南海は感謝で何度も頭を下げた。店を出ると、デビューの成功を祝うように、夜空には幾千の星が咲いていた。(高田賢一)=敬称略・毎週末掲載