陸自ヘリ 殉職隊員十三回忌慰霊祭

4人が犠牲となった急患空輸の陸自ヘリ墜落事故から12年。親子で父・祖父のみ霊に献花する遺族=16日、徳之島町山

「未来永劫、感謝忘れない」
徳之島町

 【徳之島】「感謝の念を持ち、未来永劫(えいごう)忘れない」――。濃霧の悪天候下、救急患者空輸のため徳之島に飛来した陸上自衛隊ヘリコプターが徳之島町の山中に激突、隊員4人全員が犠牲となった事故から12年。陸自第1混成団第101飛行隊(現・陸自第15旅団第15飛行隊=那覇)の同殉職隊員の十三回忌慰霊祭が16日、悲しみの山頂をあおぐ同町山(さん)公民館広場の同慰霊碑前であった。

 同事故は2007年3月30日午後11時すぎ、県知事を通じた災害派遣(急患空輸)要請を受け、沖縄県那覇市から飛来した同飛行隊の大型輸送ヘリ(CH47)が、天城岳連山の山頂付近に墜落して炎上。搭乗していた▽同町亀津出身の機長・建村善知1等陸佐(54)▽副操縦士・坂口弘一2等陸佐(53)=長崎県出身▽整備員・岩永浩一陸曹長(42)=同▽整備員・藤永真司陸曹長(33)=大分県出身=の4人全員が死亡した。

 濃霧下の夜間に、離島住民の人命救助(急患空輸)に飛来した任務途上の悲劇に、徳之島3町では「その崇(すう)高な任務に殉職した隊員たちに感謝し後世に伝えよう」と島民募金を展開。09年、山公民館敷地に慰霊碑を建立した。

 青空が広がる穏やかな日和のもと、十三回忌慰霊祭には遺族16人や自衛隊関係65人、地元の関係機関・団体・住民代表など約200人が出席。黙とうや碑文朗読に続き、陸自第15音楽隊の演奏と徳之島高校音楽部員ら合奏で「鎮魂歌」(寶田辰巳作詞幸多優作曲)なども捧げた。

 慰霊の詞(ことば)で慰霊祭実行委員長の高岡秀規徳之島町長は「人命救助の崇高な任務を全うされた勇士たちに感謝の念を持ち続け、未来永劫忘れない」。陸自第15ヘリコプター部隊の坂本貴宏隊長は「多くの離島を抱える鹿児島、沖縄両県の急患空輸も極めて重要な任務。この崇高な任務を遂行中、前途有望な隊員が人生の最も輝かしい時期に、志半ばでその職に殉じられたことは誠に残念。4人のみ霊(たま)を誇りに尊いご遺志を継ぎ、確実な安全管理と厳しい訓練の継続で、国民の負託に応える部隊・隊員に」と述べた。

 献花の後、遺族を代表して故・建村機長の妻美代子さん(64)が「私たち遺族は、皆さまの温かいご支援のおかげで気持ちも癒され、誇りを持って暮らすことができます。4人のみ霊と共に感謝を申し上げます」とお礼を述べた。

◎「感謝の気持ちでいっぱい」

 閉式後、事故発生当時わずか1歳2カ月だった故・藤永陸曹長の娘真央さん(13)=中学1年生=は「感謝の気持ちでいっぱいです」の一言に万感を込めた。合同慰霊祭は今回が最後となったが、故・坂口2等陸佐の妻惠子さん(62)と建村さんは「山(墜落現場山頂)の整備をしていただいていることに感謝。私たちには早く緑を戻したいとの思いがあった」。現場は「眺望も良く人の集まる場所にしたくて、七年忌の際は桜の苗を植栽。次は花が咲いている時期に来たい」。すっかり緑に帰した遠望に、安どの表情を浮かべた。

 17日午後3時からは徳之島町文化会館で第15音楽隊の演奏会(入場無料)も開かれる。