各界から悲しみの声相次ぐ

奄振予算確保に向け精力的に活動する、衆院議員当時の保岡氏(写真右から2人目)=2016年12月撮影=

「奄美の振興・発展に尽力続けた政治家」
国政舞台で長年手腕発揮
保岡氏死去

 元法相で元自民党衆院議員の保岡興治氏(79)=宇検村出身=が19日午後、膵臓(すいぞう)がんのため、東京都内の病院で死去した。1972年の衆院選初当選から通算13期を務め、奄美群島の振興・発展に力を尽くしてきた保岡氏の突然の訃報に、奄美の各界から追悼と感謝の言葉が寄せられた。

 国政の舞台で長年手腕を発揮した実績に、政界関係者からは惜しむ声が相次いでいる。

 自民党の金子万寿夫衆院議員=鹿児島2区=は1978年3月から4年半以上、保岡氏の公設秘書を務めた経験を振り返り、「近くで仕えただけに、残念な気持ちでいっぱい」と悲しみにくれ、「今年3月ごろ会食した時は元気な様子だった。心配された病気のこともあって、その後の面会は果たされなかった。あの時が最期に見た姿だったと思うと…」と言葉を失った。

 衆院鹿児島選挙区で保岡氏とともに一時代の国政を担った徳田毅・元衆院議員も冥福を祈り、「県を代表する政治家として法務行政を始め、幅広い分野での活躍。特に奄美群島の振興発展に多大なる功績を残された。父・虎雄は病床の身で深い思いを伝える事はかないませんが、父にとっても同時代を生き抜き、互いに切磋琢磨を重ねた特別な存在でした」とコメントした。

 永井章義県議=奄美市区=も保岡氏の公設秘書を経験した一人。17年間務めた後、政治家の道に進んだ。「常に自分を律しながら真摯に対応する姿を目の当たりにした」。秘書としての思い出を言葉少なに語ったほか、4月の県議選当選を報告した際には「当選祝いと激励を受けたばかり。その際も奄美の将来を熱く語っておられ、訃報は残念でなりません」。

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 今年2月、奄美市内で開かれた保岡氏の旭日大綬章受章祝賀会では病気を感じさせない元気な姿を披露。それだけに出席した奄美の自治体首長、財界関係者も突然の訃報に驚きを隠せない。

 朝山毅奄美市長は「奄美の振興を語る姿に誰もが引き付けられた。一線を退かれた後も存在は地元の大きな力、支えでもあった」。伊集院幼・大島郡町村会長は「祝賀会での姿を見たのが最期。元気な様子で奄美のために尽くすと意欲を見せていた」と語った。

 元山公知・宇検村長は、名誉村民(2001年9月選定)の保岡氏が果たしてきた功績をたたえ、「強いリーダーシップで奄美群島の発展に尽くした多大な貢献に感謝しかありません」と謝意。また保岡氏と同学年という谷芳成・奄美大島商工会議所会頭は「奄美のため、常に尽力し続けた政治家だった」とした上で、「改元目前に昭和と平成時代の奄美を支え、礎を築いた人物が亡くなられたことは本当に残念」と惜しんだ。