徳之島・小出氏悼む

「お帰りなさい」と歓迎を受け続けた故小出義雄氏(右)と高橋尚子さん=2004年4月、徳之島空港

「安らかに。そしてありがとう…」
スポーツ合宿貢献に感謝 島民に親しまれ学校で講演も

 【徳之島】「スポーツ合宿の島・徳之島の基盤を築いた恩人だった。安らかに。そしてありがとう…」。豪放らい落な性格に繊細なトレーニング指導で知られ、2000年シドニー五輪で日本女子マラソン初の金メダリスト高橋尚子さんらを育てた名将・小出義雄氏(享年80)。合宿等など22年間の交流で親しんだ同島の関係者からは、悼みとともに報恩・感謝のことばも聞かれた。

 徳之島(天城町)には毎年、全日本実業団陸上の関係を中心に国内外から平均45団体・延べ約6千人が合宿入り。温暖な気候や宿舎に加え、天城クロスカントリーコース(小出氏監修)や全天候型トラックなど練習環境の充実もあり、国内外からのスポーツ合宿のメッカの一つに定着。世界陸上や五輪へつながる実業団陸上の著名選手らの大半は同島の大地を駆けた経験を持つ。「縁起のいい島」と発信。その土台を築かせたのは、小出氏と高橋尚子さんだと断定できる。

 1998年2月、天城町松原のサトウキビ畑をぬう農道で、積水化学(当時)の女子部員らと自ら伴走して直接指導する小出監督の姿があった。直近大会と期待選手は?のインタビューに「ほかにあと1人、高橋尚子って子がいて、ちょっと期待している」。

 そしてシドニー五輪切符が懸かった翌3月の名古屋国際女子での初優勝。ついには同五輪にも同島合宿で臨み頂点の金に輝いた。監督に「縁起のいい島だ」と言わしめ、佐倉アスリート倶楽部設立後も所属選手を引き連れての同島通いが続いた。

 島民には「Qちゃん(高橋さん)」「ひげ監督(小出さん)」とも親しまれ、毎年「お帰りなさい」と迎えられた。小出さんは地元校の講演会にも招かれ、「いつも夢を持つことが大事。人間は持って生まれた運は同じ。何事も『自分はこうなりたい』と、前向きに努力して全力を傾けると夢は実現する」(08年2月、亀津中)などと励ましたことも印象深い。

スポーツ合宿の島 基盤づくり貢献

 五輪2大会メダリストの有森裕子選手を育てた小出監督を97年の岐阜県内マラソン会場に訪ね、徳之島合宿への下見を直訴。98年からの合宿誘致に成功した〝草分け〟は現在の合宿拠点、ホテル・サンセットリゾート徳之島(天城町与名間)社長の宮田益明さん(72)だ。

 「22年来のお付き合いだったが、小出さんは世界トップの監督だと思う。徳之島から高橋さんに金メダルを取らせたことで、スポーツ合宿メッカとしての道が開けた」。数年前からは体調不良でキャンセルもあったが、今春は2月7~21日の2週間、選手らと4人で合宿。好きな酒もタバコもやめているが、「もう1回東京(五輪)でメダルが取れたら、酒をお腹一杯飲んで死んでもいい、と話していた」。告別式では「お疲れさんでした。ありがとう」と言いたい。

 町職員時代から交流が続く森田弘光天城町長は、「スポーツ合宿日本一の島を目指してスポーツ振興に取り組んでいるが、その土台を築き、引っ張ってこられた小出監督の力は大きい。今後も多方面でご指導を仰ごうと思っていたが、訃報に接し、誠に残念。大変豪快な人柄でだれにも気さくに接してくれた。来年はかごしま国体(トライアスロン競技)もあり、小出氏の貢献を継いで成功に導くことでご恩に報いたい」と悼んだ。