名瀬小で「記念の日のつどい」

断食悲願の詩を朗読する名瀬小学校の児童たち

先人の偉業たたえ歴史語り継ぐ
復帰から66年

 奄美群島の日本復帰(1953年)から66年となる25日、復帰運動の中心地となった名瀬小学校で「日本復帰記念の日のつどい」(同実行委員会主催)があった。復帰運動に参加した人や、米軍統治下の奄美を知る人、戦後世代の市民、市内小中学校の児童生徒ら約650人が参加。復帰運動の歴史を振り返り、先人の偉業をたたえ語り継ぐ決意を新たにした。

 雨天のため、同小体育館で行われた式典には、市内の小中学校の児童生徒約500人と一般市民約150人が参加。司会進行は金久中2年の泊雄太さんと柳真心さんが務めた。当時、集会の演説で使われた円形テーブルも設置されるなか、復帰運動を率いた泉芳朗氏や、無血の民族運動を成し遂げた先人たちに向け、団体代表者や児童生徒らが献花。全員で「日本復帰の歌」を斉唱した。

 主催者を代表して登壇した朝山毅市長は「群島民が団結し大きなエネルギーとなって成し遂げた復帰運動の歴史を風化させることなく、記憶と記録として後世にしっかりと受け継いでいかなければならない」などと述べた。

 児童生徒らへの講話では、奄美市在住の松夫佐江さん(92)が当時を振り返り、戦時下で、疎開のために乗船する予定だった武洲丸が米軍の潜水艦に撃沈されたことや日本復帰前の奄美での生活の様子などを語った。松さんは「命が助かったのだからよかった。戦後はジープに乗った米軍兵をよく見かけたが、なぜ奄美にいるのかと子ども心に思っていた」などと振り返り、「戦争というのは恐ろしいこと。みんなで平和を守っていってほしい」と呼び掛けた。

 その後、名瀬小学校6年生児童を中心に、参加者全員で泉芳朗氏の「断食悲願」の詩を朗読。児童生徒を代表し感想発表した名瀬中2年、登山にこさんは、泉芳朗氏が作詞した同校の校歌を誇りにしていることなどを紹介し「私たちが今、日本人として平和な日々を送れるのは、偉大な先人たちの熱き想いのおかげ。奄美に生きる一人して忘れることなく、感謝の心を持って精いっぱい生きていきたい。復帰の歴史を後世に伝え、これからの奄美の将来を考えることが私たちにできることだと思います」と述べた。式の最後は日本復帰祝賀の歌「朝は明けたり」を斉唱し、万歳三唱で締めくくった。

 奄美群島は、終戦後の1946年(昭和21年)2月2日から1953年(昭和28年)12月25日までの約8年間、日本から行政分離され、米国の統治が行われた。本土への渡航は厳しく制限され、食料・物資不足で人々の生活は困窮。勉強するための教科書すらないという事態に陥った。苦しい時代に日本復帰を願った群島民は「復帰運動の父」泉芳朗氏を中心に、熱烈な市民運動を展開、祖国復帰を成し遂げた。