ジャーナリスト・川村さん×東京奄美会・大江会長 対談(後編)

奄美にはたくさんの文化や遺産があると熱く語り合う、大江会長(左)と川村さん(右)

奄美の偉人たちを熱弁
誇れる遺産数々、うまく発信を

 【東京】テレビ朝日系列の情報番組で、切れ味鋭いコメントで知られる、ジャーナリストの川村晃司さんと、東京奄美会・大江修造会長の対談は時間と共に熱いものに。後編は、西郷隆盛をきっかけに、奄美の偉大な人たちについて語り合った。

◆身近な英雄・西郷さん

 大江「一昨年の大河ドラマ『西郷どん』にあるように、西郷さんは最も身近な英雄でしょうね」

 川村「もちろん西郷隆盛は近い英雄といえます。ある種の伝説ですよね。徳之島、沖永良部でも西郷さんの話をよく聞きましたね。西郷が軟禁された跡も今も保存されている。私の現場主義の基本からすれば、もっと多くの人に訪れてほしいと思うのです」

 大江「西郷南洲謫居跡の近くに田畑(龍)家代々の墓地がありますが、愛加那の墓碑は龍愛子であり、西郷ではありません。田畑家は、最初の妻だと思っているのですが、墓を見るとそうじゃない。田畑家と西郷家は付き合いがないのです」

 川村「それは意外な話ですね。私は母親から、西郷の話をすると、息子(西郷菊次郎)が最後に京都の市長になった偉い人だ、ということをよく聞かされたものです」

 大江「そうですか。彼は青年時代に龍郷に戻って愛加那と1年間暮らしているのです。今、龍郷では、菊次郎生誕150周年企画を練っていると聞いております」

 川村「そうですか。それは西郷隆盛を多面的にとらえるのが正しいことだ、という表れだとも言えることでしょう」

 大江「西郷は、龍郷ではのびのび暮らしていたようです。島流しされた当初は落ち込んでいたらしいですが、徐々に慣れてきたと思われます。そして示現流で奇声を発したりして、変わった人として見られていたらしいのです」

◆数々の偉人たち

 川村「そういえば、奄美の話を母から聞いても、西郷隆盛についてあまり出なかったような記憶がありますね。奄美は、田中一村という素晴らしい芸術家も生みました。畏友のなかにし礼さんがサンデー毎日で連載をしておりますが、挿絵を一村の絵から引用しております。がんを克服したなかにしさんが一村の絵を見るために奄美を訪れ、心に強く残ったのだと思います。同じ『寅年の会』のメンバーなんです」

 大江「田中一村も奄美の宝でしょう。残念なのは、多くの芸術家がそうであるように、彼も亡くなられてから評価されていますよね」

 川村「奄美には、そのような文化もありますよね。前に戻りますが、世界自然遺産登録も、それらと連携することも大事でしょうね」

 大江「おっしゃる通りです。今盛んに奄美群島がメディアなどで取り上げられているけれど、自然が中心なのです。もっと文化的な部分にスポットを当ててほしいですね」

 川村「そのあたりは、奄美新聞でPRしてほしいです(笑い)。また、大江さんの著書に詳しいですが、砂糖(黒糖)で潤った薩摩藩があってこそ、明治維新につながっていくわけですよね」

 大江「そう推察されます。幕末、薩摩の軍艦・蒸気船は18隻。薩摩はおそらく幕府よりも多かったはずです。いずれにせよ、奄美の人たちの血と汗があってこそ、明治維新はあったと言えるでしょうね」

 川村「そういえば、母親からは、戦後の日教組委員長で宮之原貞光さんの名前もよく聞かされましたね。終戦後の日本を立ち直らせた一人は、奄美出身なのだと」

 大江「宮之原さんの演説は、僕がまだ若かりし頃(笑い)に東京奄美会で聞きましたね。当時は、政治家や文化人の講演会が多くあった。『島のブルース』などを手掛けた著名な作曲家、渡久地政信さんがいるのですが、その関係で大津美子、田端義夫ら大物歌手が出演するようになって、現在の芸能主体になったのでしょう」

 川村「それはすごいですね。横綱・朝潮も来たのでは? 母親が大の贔屓でしてね。もっとも親父は、青森だから若乃花でしたが…(笑い)」

 川村・大江「いずれにせよ。奄美には文化、自然、ともに世界に誇れる遺産がたくさんあります。それをうまく発信してもらいたいものですね」

(終わり)