朝光介(フロム・カサリンチュ)さん

新橋の「島料理店まさむぬ」での“投げ銭ライブ”。28日は、吉祥寺BAOBABで初の配信ライブが行われた

コロナ禍での悩ましい日も貴重な経験と語る、朝光介さん(提供写真)

コロナ禍に遭遇した東京で奮闘
工事現場で気付かされた音楽の深さ

 【東京】新型コロナウイルスの感染拡大により、アーティストが活動停止に追い込まれているなか、カサリンチュのコースケこと朝光介さんが、苦境に立たされている。ソロ活動しようとした直後、コロナ禍に巻き込まれてしまったのだ。島を離れ孤軍奮闘する、朝さんに話を聞いた。

 笠利町出身の村山辰浩さんと朝光介さんによる同級生ユニット「カサリンチュ」は、2010年に「感謝」でメジャーデビュー。各地で活動していたが、昨年6月に事務所を独立し、充電期間に入ると宣言。ユニット休止後、ソロでの活動を決心した朝さんは、パワーアップを目指して、人脈を駆使しながら精力的にライブを展開「今年も全国を回れると、ソロとしての手ごたえもつかみつつあった」という。だが、そんなときに、東京でまさかのコロナ禍に巻き込まれてしまった。

 「5年ほど前に出会った、中村えみ(NakamuraEmi)さんの全国ツアーに帯同する予定でしたが、上京したとたんコロナ禍。3月から8月までのライブは、休止になってしまったのです」。ほかのアーティストらとのセッションもできず、「音楽活動最大の危機」に追い込まれてしまう。島にも戻ることも許されず、現在は音楽活動のため借りている北区赤羽のアパートで滞在している。

 気になるのは生計だが、「いろんな工事現場でのアルバイト」という。警備やトラック誘導、解体の足場作り、ライン引きの助手などで「3日前にキャンセルもできるので、仕事が急に入っても対応できる。だから歌い手や、ダンサー、役者さんも多い。もっとも今はありませんが…(笑い)。現場は都内のほか埼玉県、千葉方面まで。建築業はとても忙しい」そうだ。

 島にいる家族(3人の子と妻)のための仕送りに体を酷使しているが「現場監督の怒声も全く苦になりません」とほほ笑む。また、彼らと接しながら「プロとしてのすごさを知り、それを基に曲もできました」という。一方で、各地のライブハウスなどが閉じる暗い話題も耳にしている。

 「ライブができなくなり、改めて多くの人たちに支えられた音楽活動だったのだと知らされました。それも『カサリンチュ』で世に出られてこそ。島にも帰れず音楽もできず悩ましい日々も多々ありますが、これも貴重な経験。実は、今のほうが音楽で何を表現したいか分かったような気がするのです。それをいつか披露できると思うと、わくわくします」と前向きだ。ソロとしての行き先を照らそうと“投げ銭ライブ”も敢行している。7月1日に約3カ月ぶりに島に帰るが「2週間ほど隔離されてからでしょう」と苦笑い。家族と共に”朝の光“を迎えるまで、試練は続く。