「終わらない夏」を歌った我那覇美奈さんの特別な思い

「みなみなみなみ」がそろい開催された昨年の「夢の島・奄美祭り」(左から我那覇美奈さん、城南海さん、牧岡奈美さん)円内は我那覇さん

コロナ禍に開催されなかった夏の甲子園
「歌い続けながら、応援していきたい」

 【東京】2020年は、「甲子園」での野球選手権が史上初めて開催されなかった。その夢舞台では、センバツ大会に出場するはずだったチームによる「甲子園高校野球交流試合」が、このほど終了した。かつて「熱闘甲子園」の曲を担当した、奄美出身の歌手・我那覇美奈さんの特別な思いに迫った。

 我那覇さんが、テレビ朝日系で深夜に放送された「熱闘甲子園」のテーマ曲として全国に流れたのは、2002年のことだった。自ら作詞した「終わらない夏」は、球児の応援歌として連日流れ、いまもファンが多い。我那覇さんは「当時(01年)アルバム制作中に、まだ歌詞がつけられない曲がありましてね。ちょうどスタジオで弟(悟志さん=樟南高校、現同校野球部副部長)の甲子園代打ホームランをみんなで観戦。その感動がきっかけで、曲が完成したのです」。敗色濃厚の中で描いた、渾身の放物線からの誕生秘話を明かす(結果は日大三に7対11で敗退)。

 3度甲子園に出場した弟を「彼がピリピリしていたので、変に歌がプレッシャーになったりしないか」と心配した姉。とはいえ「本人も周りの選手と寮で聴いて、励まし合ったりしてくれたようです。大人になってから『終わらない夏』のタイトルを分かったと言ってくれたときは、うれしかったですね」と振り返る。そんな弟のおかげもあって、訪れた甲子園。

 我那覇さんは、「聖地という圧倒的なパワーを感じる」とともに「こんな炎天下でやるのか」との驚きを隠し切れなかったという。弟を思う姉によって紡ぎ出された歌が、やがて全国の球児を励ますように。「弟のために書き始めたはずなのに、自分に当てはまるところがあって、歌っていても逆に自分が励まされることもある」そうだ。だから歌詞のなかに出てくる「ステージ」は、球児にとっては甲子園であり、聴く人が夢見る大舞台なのだ。 

 コロナ禍で、自身の歌手活動も制限される今、我那覇さんは「夏恒例の『夢の島・奄美祭り』も企画できなくなってしまった」とステージの減少に、悔しさをにじませる。

 一方で「甲子園ファンのみなさんに『終わらない夏』『8月の風」』を弟と共に覚えてもらっていて、光栄なこと。この曲を宝物として歌い続けながら、彼らを応援していきたいですね」。そう語るまなざしには、あの日の熱い夏の物語が映し出されているに違いない。