コロナ禍・奄美のために出来ること=17=

 

箱物ではない政策、奄美空港便活性化に尽力
ジム会長を通じて、出会った奄美の人たちの素朴さを実感

奄美への思いと、登場人物を紹介しながら次の人にバトンをつなぐ「奄美のためにできること。新型コロナウイルスと私は戦う!」の第17回。東京学館船橋の野球部監督・黒川敏行さんの紹介で、馬淵澄夫衆院議員が登場する前編。   (東京支局・高田賢一)

ジムオーナー・宮畑豊会長とは、40年の付き合い。

「黒川さんとも知り合うこととなるジムには、ボディビルのコンテストに出場した学生時代から通っていました。宮畑豊会長の紹介によって緑健児さんや長渕剛さんとも、知り合いになりました。もう40年のお付き合いになりますね。大変な苦労をされたことを感じさせない、おおらかで、豪快、それでいて細やかな人柄の会長を通じて奄美の多くの方々に出会いました。その誰もが、温かくて素朴で、とても魅力的で、自然と奄美にも引かれていったのです」

島への誘いを何度も受けるもかなわなかった訪問が、仕事でかなうことに。

「奄美で毎年5月に開催していたゴルフスクールや、仲間のツアーの話を聞いて何度も行きたいなと思っていたのですが、当時会社を経営していたこともあり、なかなか島へ行くことができませんでした。聞けば聞くほど奄美への思いが、募っていきました。そんな折、政治の世界に進出し、国交省の副大臣になったのです。国交省は、奄美振興のまさに大元ですから、これは使命だ(笑い)と直感、堂々と奄美へ行けることになったのです」

政治家として、憧れの奄美を訪問。熱を帯びる使命感。

「行政の立場から念願の奄美へ伺いましたが、瀬戸内町の寿司屋さんや、週末限定のライブハウスを訪れては、飛び込みで歌わせてもらったりしましたね。宮畑会長の従兄弟の『ゆてぃもれ』の加藤清満さんにあらゆるお導きをしていただきました。奄美の人たちが、あっという間にアットホームになることを現地で実感したのです。もちろん名瀬の屋仁川や金作原原生林なども堪能しました。政策勉強会も開かせていただきました。今のコロナ禍は、とても心配しております。僕が政権にいた時には単に箱物ではない政策に力を注ぎ、奄美の観光客数はその後徐々に増えていきました。そして昨年の奄美群島への入り込み客数は年間90万人に迫り、今年いよいよ100万人超えかと期待された矢先に、コロナですからね。世界自然遺産登録の先送りも、大きな痛手でした。環境省に聞いても、今は今後の見通しは分からないという。登録は決して観光振興策ではありませんが、奄美の価値が世界に認められ、それをきっかけに観光振興につながればそれは素晴らしいことだと思います。一方で、屋久島に見られるように自然が破壊されるなどの懸念があるのも否定できません。そうした部分のバランスを取り、それでも奄美を世界に知ってもらうことが大切なのだと思うのです。そのためには、動きますよ。幸い『名瀬まぶち会』と『瀬戸内まぶち会』を作っていただいておりますし、皆さんとどんどん会話を重ねて、奄美のために何ができるのかを探ってみたいと思っているのです」
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馬淵澄夫(まぶち・すみお)1960年8月23日生まれ。奈良市出身。2003年衆院議員に初当選。10年国土交通大臣・内閣府特命担当大臣に就任。20年衆議院決算行政監視委員会委員長になるほか、要職を歴任。サーフィンやボディビルなど多彩な趣味を持つ。一匹狼ならぬ「一匹ゴリラ」を自称。妻と義母1男5女孫3人。