地区対抗女子駅伝

9位でゴールする大島のアンカー吉田=隼人運動場

大島は9位
Bクラス死守ならず

 【鹿児島】第34回鹿児島県地区対抗女子駅伝大会は31日、霧島市の隼人運動場を発着点に、国分下井を折り返す6区間21・0975㌔で健脚が競われた。大島は1時間17分32秒で9位だった。

 1区で10位だった大島だが2区以降で盛り返す。3区で要田(赤徳中)が順位を1つ上げた。目標に掲げた8位以内の「Bクラス死守」を目指して熊毛、伊佐と熾烈な8位争いを演じたが、熊毛に4秒及ばず9位に終わった。

 総合優勝は3区で首位に立った鹿児島が、1時間9分14秒の大会新記録で5年ぶり4回目の頂点に立った。Bクラスは日置、Cクラスは熊毛がそれぞれ制した。(政純一郎)

笑顔でつないだタスキ 大島

 目標に掲げた「Bクラス死守」にはあと4秒足りなかった。悔しさは当然ある。涙する選手もいた。それでも備秀朗監督は「選手たちは命がけで目標達成を目指した。今持っている力は出してくれた」と選手たちの頑張りを称えた。

 全国クラスの実績がある選手、任せれば絶対の力のある選手はいない。コロナの影響で長く合同練習もできず、チームが本格的に始動したのは11月からだった。戦力的にも厳しい中で迎えるレースだったが備監督は「区間順位は気にせず、精一杯粘りの走りをしよう」と選手たちに伝えた。

 伊集院若菜は大会初出走で1区の大役を任された。エース級の選手との争いに悪戦苦闘しながらも「あきらめない粘りの走り」で最後は熊毛の選手に競り勝った。2区・友野は37秒差あった9位との差を10秒に縮めた。中1の3区・要田が順位を1つ上げたことが後半の選手たちの力になった。

 熊毛、伊佐と熾烈な8位争いを繰り広げ、最後はあと一歩及ばなかったが「今年のチームカラーは出せたと思う」と5区で区間6位と健闘した上原千怜は言う。もう一つの約束事だった「笑顔でタスキを受け取り、笑顔でつなぐ」は6人全員がやり切った。

 「奄美に元気を届ける」ことも大きな目標だった。競技場で熊毛の選手を必死で追い上げたアンカー吉田の携帯には、中継を見ていた多くの友人、知人からメッセージが寄せられたという。備監督は「彼女たちの必死で走る姿は奄美の人たちに届いたと思う」と締めくくっていた。

「誇れる走り」できた 要田(赤徳中)

 要田光春=写真=は1年生ながら中学生区間の3区を任された。大舞台にも臆することなく順位を1つ上げ「応援してくれた家族に誇れる走りができた」と喜んだ。

 レース前は「島でやってきた走りが通用するか不安だった」。タスキを受け取った順位は10位。前を走ってきた社会人の先輩・友生が笑顔で背中を押してくれたことで緊張がほぐれた。前半から積極的に飛ばして、前を行く伊佐、指宿を中間点付近で抜いた。後ろから追い上げた曽於に抜かれたが、1年生の粘りの走りは4区以降の選手にも力を与えた。

 長距離を始めたのは小6の夏休みから。姉の朝練習に付き合っていくうちに走る楽しさに目覚めた。

 上々の女子駅伝デビューだったが「1人、抜かれたこと」に悔しさも感じている。「抜かれた悔しさを練習に生かして、まずは今年中に3000㍍10分30秒を切りたい」と今後の目標を語り「来年の大会では自分の走りでチームに流れを呼び込める選手になりたい」と夢を語っていた。

地区対抗女子駅伝出走選手ひとこと

目標達成は果たせなかったが笑顔でタスキをつないだ大島チーム=隼人運動場

 1区 伊集院若菜(鳳凰高・名瀬中卒) きついときも応援してくれた人やメンバーの顔を思い出して、あきらめない粘りの走りができた。目標達成できず申し訳ない気持ちもあるが、選手1人1人が厳しい状況の中でも気持ちを一つに一丸となって走ることはできた。

 2区 友生有紀(郡山給食センター・龍南中卒) 5年ぶりに大島チームの選手として走るチャンスをいただいたことに感謝したい。緊張もあって思うように走れなかったところもあったが、楽しく走れた。

 3区 要田光春(赤徳中) 自分の走りが通じるか不安もあったが1つ順位を上げることができた。応援してくれた家族に誇れる走りができた。

 4区 豊紅茉(奄美高) 3区で光春が良い走りをしてくれた。順位は落とさなかったがチームの目標を死守できなくて、駅伝の難しさを感じた。アンカーの吉田が必死で走る姿を競技場で見た時、奄高で一緒にやってきた後輩とこの駅伝を走れたことに感動して涙が出た。

 5区 上原千怜(薩川小教) 途中経過は見ずに、フラットな気持ちで全力を出すことを考えた。きつかったけれど、精一杯の力を出して、笑顔でタスキをつなげたのが良かった。

 6区 吉田風花(奄美高) 前半突っ込むつもりだったが、前との差が縮まらずに焦った。ラスト1㌔で熊毛の選手に出られて追いつけなかった。目標達成できずに申し訳ない。これまで走ったどの大会よりも責任が重く緊張した。