「身近で」奄美出身者新型コロナ感染ルポ(5)

配膳される食事はこんな具合

 

 

コーヒーの香りに気づかず

 

 【4月30日】本日も相変わらず体調はすこぶるいい。昨日、ホテルで療養していた息子が家に帰ってきたと連絡があった。体力が衰えていて、自宅の部屋に上がる階段の上り下りがしんどいそうだ。まず足が上がらないとのことだった。よく言われている嗅覚が鈍くなり、ほとんどの匂いを感じられなくなっているらしい。

 【5月1日】本日も体調がいい。外も夏を思わせるほどに日差しが強い。窓のそばにいるので外の気温が伝わってくる。遠くに見える川の木々が風に揺れているのが見える。たった4日間だったけど、外に出られないとなると、ものすごく長く感じた。それも明日にはここを出ることができる。もう少しの辛抱だ。いつもの館内放送から1日が始まる。

 朝食は普通に食べることができたが、昼が近づくにつれて、なんか体がだるい。熱を測ってみると、37・8度もある。やばい。2時間おきに熱と酸素濃度を測るが、いずれも基準値を超えている。血中酸素濃度は95と97を行ったり来たりで96以上で安定しない。体温も37・5度以上ある。まだ、体内にあるウイルスは死滅していないということか。明日の退所は諦めなければならなさそうだ。しおりに書かれている「神奈川県コロナ119番」に電話をした。現在の体の様子を伝えると、しばらく待つように言われた。どうやら判断を下すのは医師のようだ。回答が出た。やはり、退所日が1日から5日に延びた。なんでここにきて体調が悪くなるんだと自分を恨んだが、こればかりは仕方ない。 

 かみさんをコロナ感染者にするわけにはいかない。ひたすら、熱が下がり、酸素濃度が上がるのを待つしかない。待つ以外何もできない。頭も回らなくなってきた。仕事は諦めて、とりあえずベッドに横になることにした。いつの間にか寝ていたらしい。あの大音量の館内放送で起こされた。しばらくして、いつものように部屋の電話がなり、県の職員と名乗る人から、私の安否確認(電話に出たかどうか)だけされた。コロナ119番に電話したことは伝わっていないようだった。夕食時まで体調は回復せず、食欲も失せた。弁当はほとんど残した。食後にいつものようにコーヒーを入れた時、コーヒーの匂いがないことに気づいた。息子が言っていたのはこのことだったんだ。

 午後7時、ホテルから連絡が入った。「明日の退所時間は午前9時から10時の間です。連絡がくるまで準備をして、いつでも退所できるように待っていてください」。県との連携がとれていないことがわかる。あるいは、コロナ患者が増えすぎて、手が回らないのかもしれない。県から退所が3日間延びたと連絡があったことを伝えた。

 子供のころ、風邪をひいたら、汗をいっぱい出すようにと母親に厚着をさせられ、重たい布団で我慢して寝ていたことを思い出した。厚着はしていないが、じっとりと汗をかいたので、バスタブに熱いお湯をためて、入ることにした。額から汗がしたたり落ちてくる。体をさらに熱くしたのち、水気をきれいにふき取り、再度ベッドで寝た。このことが果たしていいことなのかは分からないが、まあ、明日になれば分かるだろう。

 【5月2日】昨夜の熱い入浴が利いたようだ。体温は平熱に戻っていた。血中酸素濃度も基準値をクリアしている。98もあった。この測定器は「パルスオキシメータ」と呼ばれる機械で、指先にはめてSpO2という血液中の酸素飽和度を測るものだそうだ。血中の酸素濃度とどう違うのか自分にはよく分からない。このまま、正常な値のまま3日間過ごせれば今度こそ退所だ。

 午後1時。いつものとは違う館内放送が流れた。「具合の悪くなった人が出たので、ただいまより緊急搬送するので、アナウンスがあるまで、部屋を出ないように」との内容だった。私みたいに 体調が悪くなった人がいたんだ。下手したらね、自分もそうなっていたかもしれない。このまま、この日は体調は回復に向かった。