奄美に貢献する「南海人」たち

奄美を愛する、結束力抜群のオフィシャルファンクラブ「南海人」のメンバーたち

城南海さんオフィシャルファンクラブ
文化や自然より深く理解

 間もなく奄美大島、徳之島が待望の世界自然遺産に登録される。地名が世界に発信されることで、訪れる人たちの増加が見込まれよう。数年前からある人物を通じて島のファンとなり、奄美へ上陸する団体がいる。彼らの正体に迫ってみたい。

 団体の総称は「南海人」と書いて、「みなみんちゅ」と読む。ある人物とは、奄美出身の歌手・城南海さん。2009年にデビューした彼女のオフィシャルファンクラブだ。所属するポニーキャニオンアーティシツによれば、会員は約1500人、40代から60代が70%で、男性が8割を占める。年2回の会報誌発行、東京・大阪でのファンクラブイベントのほか、年1回奄美へのファンクラブツアーを16年から5回開催している(20年1月以降は中止)。あやまる岬やマングローブパーク、大島紬村、奄美大島開運酒造(宇検村)などを各60人から120人、合計約400人が訪れた。

 彼らの多くにとって奄美は、「南海ちゃんのライブで初めて知った。南の島とは分かっていたが、具体的な場所、特徴は知らなかった」とする未開の地だった。これまで奄美は、三沢あけみさんや元ちとせさんの曲、また、築地俊造さん、朝崎郁恵さんらのシマ唄でたびたび紹介されてきた。だが、全国隅々に知名度が浸透しているかと問われると首をかしげざるを得ない。若者世代に限ると、さらにその疑問符は増えるだろう。それが18年の大河ドラマ「西郷どん」の放送や世界自然遺産登録への期待で、メディアで取り上げられることも増え、環境は変わった。元さんや我那覇美奈さんらが出身地を明かすことをためらった時代は、過去になった。

 城さんのライブのテーマは「ウタアシビ」。大島紬姿に三味線でシマ唄を熱唱する。故郷のことを伝えないステージはない。彼女の唄声に魅了されることは、奄美に引き込まれることと同じなのだ。

 奄美でのデビュー10周年公演でも共演した、サーモン&ガーリックのサーモンこと新元和文さんは、こう解説する。「彼女の下地にシマ唄があるから。元ちとせさんを引き継いだかたちです。一般的なアーティストのファンとは違い『南海人』は、奄美の文化や自然をより深く理解している。中孝介ファンとも似ていますね」と。「奄美を訪れたファンが『お帰り』ともてなされ、ますます奄美が好きになったと聞いています」(中さんの関係者)。どうやら共通点があるようだ。新元さんは、この春まで奄美市役所に在籍、観光課にも勤務した。「さすがに経済効果までは把握できない」とするが、彼らの貢献度は小さくはない。

 他の唄者へと興味を広げる傾向もある。「最近、南海ちゃんのライブで見掛けない人が、唄者のライブにいましたよ」(ある南海人)。その輪は、着実に広がっている。「ご家族、ご夫婦が多く、ツアーにも行っているせいか、とても仲がいい」(所属事務所)とする会員の特徴も、後押ししているようだ。

 一方、「南海人」となったことをきっかけに、三味線を始めた人物や他の離島を個人旅行する人、徳之島マラソンなどに参加する人も出現。また、移住計画やラジオ番組のパーソナリティーとなり生活を一変させた人も。さらに、奄美市にマンションを求めた猛者までいる。名瀬小浜町にセカンドハウスとしてマンション(エムディア奄美)を購入したのは、福田郁夫さんだ。「音楽や芸術関係、学術関係者など奄美の文化を支えている人にぜひ使ってもらいたい」と利用を呼び掛けている。彼らの評判は「行動は、観光客の模範です」との声も聞かれるほど。

 城さんは「私の音楽から故郷に興味を持ってくださり、実際に訪れて『大好きになった。また来ます』と声を掛けてくれます。島に生まれた人間として、観光大使として共に少しでも貢献できたら幸いです」。「南海人」に感謝を披露したうえで「コロナが落ち着いたら、ファンクラブの皆さんや島の皆さんと一緒に屋仁川で唄アシビをしたいですね」。産声を上げた故郷で、ファンと共に愛を紡ぎたいとのメッセージを寄せた。自分らしく輝くために…。   (高田賢一)