世界遺産と暮らし 住用から =下=

世界自然遺産の緩衝地帯にある元井さんの果樹園。背後の照葉樹林の森と一体化しているようだ

緩衝地帯での生業

 四つの島にまたがる奄美・沖縄の世界自然遺産候補地には、登録決定後には「登録地」となる推薦地の周辺に、緩衝地帯が設けられている。登録される区域に近く重要な地域であり、緩衝地帯は「登録地を守る」役割があるのではないか。緩衝地帯が設けられたことで、2018年5月にユネスコの諮問機関・IUCN(国際自然保護連合)から「登録延期」を勧告された際、課題として突きつけられた遺産候補地の分断が改善され、連続性が保たれるようになった。

 そんな緩衝地帯、住用では役勝集落が含まれている。国道58号に面するように流れる役勝川を挟むように下・中・上で構成する3集落。登録地になるヤクガチョボシ岳などに近く、集落の背後には豊かな照葉樹林の森が広がる。

 「IUCNの専門家が現地調査(政府の19年2月の推薦書再提出を受けての同年10月の調査)した際に、3集落に対する説明や聞き取りがあった。そこで(役勝集落が)緩衝地帯に入ることを知った」。同集落で果樹農業に取り組む元井孝信さん(65)は振り返った。集落民として気になったことがあったという。緩衝地帯に含まれることで日々の暮らし、生業がどうなるか。「これまで通りで構わないという説明だった。果樹園の造成も可能ということだったが、自然との共生を心掛け実践しなければならない。自然環境を壊すことなく、守ることが緩衝地帯で暮らす住民の責任ではないか」。元井さんは語った。

 昨年秋、役勝集落では登録に向けた取り組みの一環で外来植物の駆除作業が行われた。国道沿いでの作業には、役勝3集落の住民のほか、建設業者、JAあまみ女性部の会員らが参加した。今では奄美のほとんどの集落で見かけるほど繁茂しているセンダングサなど外来種の種類や対策の重要性を知る機会となった。今後も継続していくことで緩衝地帯の役割を集落民が認識できるだろう。

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 古くから果樹農業が盛んで「みかんの里」としての歴史を刻んできた住用。その中核を担ってきたのが孝信さんで三代目の元井農園だ。孝信さんの祖父が1940年、県本土の垂水地区からポンカンの苗木を入手して栽培したのが住用での果樹農業の始まりとされている。「祖父は入手した千本のうち、300本は他の希望者に分け、700本でスタートした。当時は住用もサトウキビ農業が盛んで、キビ作をせずポンカン栽培に取り組むことは異端に映ったようだ」。

 元井農園が所有する果樹園は、国道を挟むように役勝集落内にある。栽培品目はポンカンからタンカンへと替わり、現在は新品種の「津之輝」が主体。温暖化の影響を果樹農業も受けているが、津之輝は下場での栽培が可能なため。元井農園では山間集落の山地に果樹園を造成し、そこにタンカンを移植し栽培している。タンカンは上場の方が品質・量が安定するためだ。

 緩衝地帯での津之輝栽培。どのようなことを心掛けているのだろう。元井さんが取り入れている栽培方法は「草生栽培」。除草剤などを使用せず、意図的に雑草などを生えさせた土壌で、かんきつを育てる栽培であり、土壌を草で覆うことで夏の強い日差しを緩和することができる。草の高さも30~40㌢とあえて高めにしており、ここまで伸びた草を年に10回ほど刈り取る。刈り取った草を堆肥としても活用している。「薬剤や殺虫剤の取り扱いにも注意したい。周辺には河川があるだけに、散布によって川に流れ込むことがあってはならない。環境や生きものに与える影響をこれからは、これまで以上に考慮しなければ」。

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 栽培に注意することによって販売面では、世界自然遺産の緩衝地帯で生産された農産物を付加価値としてアピールできる。緩衝地帯は隣接する登録地を守るという重要な役割があるのだから。元井さんは笑顔を見せた。「ホームページやパンフレットなどを通して売り込みたい。緩衝地帯を分かりやすく、印象的に伝えることも考えていきたい」。登録後に収穫される津之輝などのかんきつの販売では、世界自然遺産の島の産物だけでなく登録地との関係も「緩衝地帯の特権」として示すことが可能だ。

 元井農園は、多くの通行量がある国道沿いという最適地に直営の販売店を持つ。季節ごとに収穫されるかんきつ類の直売のほか、専用のジューサーを導入し、しぼりたてのタンカンジュースが味わえるようにしている。登録後は、緩衝地帯で買い求める多くの観光客らでにぎわうだろう。

 「住用の山の65%は一企業の所有だった。住民も製材など山の仕事に携わったが、林業の衰退により働き場ではなくなった。ただ、宝とも言えるような森は残った。目の前の森が世界自然遺産になる。守り、共存することで産業に生かし、暮らしが向上するような島でありたい」。元井さんは願うように語った。  (徳島一蔵)