笠利町笠利大火

奄美市笠利町で、木造家屋や倉庫など19棟が焼ける火災が発生した

木造家屋など密集 次々燃え広がる

 

「犠牲者なし唯一の救い」

 

47年前にも大規模火災

 

 27日未明に発生した奄美市笠利町笠利の火災は、風にもあおられ、木造家屋などが密集するエリア内に次々と燃え広がった。「火事だ。逃げろ」と叫ぶ声、避難を呼びかける防災無線放送も響くなか、勢いを増した炎は、真っ暗な空を赤々と染めた。

 自宅が全焼した栄初夫さん(78)は、「火事だ」と叫ぶ男性の声で目覚めた。窓越しに外を見ると、隣の2階部分が燃えていたという。「パニックになった。風呂場から水を引いて、消火を試みたが、あっという間に燃え広がった」「着の身着のままに急いで出た。恐かったが、家も燃えてしまい大変だ」と肩を落とした。

 岩田イチ子さん(57)は目を覚ますと、「電源を落とし、ガスの元栓を閉め」、家に燃え移るのを防ごうとしばらく水をかけ続けたというが、実家は全焼。「30分くらいでこっちにも回ってきた。ギリギリまで防ぎたかったが、避難した。どこに移住するか考えなければ」と不安げに語った。

 「隣が既に燃えていたので、急いで自分の家の窓を割って放水した」。中村明さん(33)の自宅に火が回ることはなかったが、敷地内に停めていた車は、熱風などで車体の大部分が黒く焦げ、室内も燃えていた。「物凄い火災だった。犠牲者が出なかったことが不幸中の幸いだったが…」と表情を曇らせた。

 火災が発生していたエリアから数十㍍離れた場所には公民館があり、自主防災組織のメンバーらがここからホースを伸ばして放水活動。また、防災無線放送で数回住民らに避難も呼びかけた。

 集落区長(駐在員)の今里信弘さん(63)は「けが人など発生しなかったことが唯一の救い」。より悲惨な状況は免れたことに、かすかな安堵感を示すも「被災された方の心のケアが大切になってくる」と厳しい表情を見せた。

 多くの住民からは、口々に「昔の大火事を思い出した」という声も。大島地区消防組合笠利消防分署によると、1974年(昭和49年)の1月にも集落で火災が発生。63棟の全半焼被害が出た。

 その火災で焼け出されたという女性(80代)は「確か1月の3日。電線を伝って火が回ってきた。プロパンガスが爆発する音など恐くて、公民館で不安な夜を過ごした。また大きな火事が起こるとは…」と複雑な心境を話した。