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新たに兼久式期「人骨」

新たに兼久式期「人骨」

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面縄第1貝塚遺跡から検出2例目の「埋葬人骨」。兼久式期としては徳之島初=27日、伊仙町

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土砂流入など地形の形成過程の調査も(面縄第1貝塚)

面縄第1貝塚から検出

第2~第4遺跡の墓地集約か

 【徳之島】伊仙町教育委員会は27日、面縄第1貝塚遺跡(同町面縄)の範囲・内容確認調査で兼久式土器(古代並行期)包含層下位から昨年2月に検出した埋葬人骨について会見。徳之島初の兼久式期(奈良・平安時代並行期)の人骨である可能性を示唆。「同第1貝塚は縄文時代並行期~古代並行期までの長期間、第2~4貝塚で生活した人の墓地が立地した証拠となり得る」と発表した。

 面縄第1貝塚遺跡は面縄小学校の西側に隣接する石灰岩層段丘の崖下に存在する。1928(昭和3)年に発見されて以降、九学会連合会などが数次にわたって調査。第2貝塚遺跡(縄文時代後期並行期の生活跡)、第3同(兼久式期の生活跡)、第4同(縄文時代前期~晩期の生活跡)と発見・調査が相次いだ。

 土器編年上の「兼久式土器」などをはじめ、貝塚・洞穴・開地の遺跡でもある第1貝塚遺跡からは箱式石棺墓の埋葬人骨(弥生前期~中期相当)=同町歴史民俗資料館収蔵=も出土。南島の先史時代研究の上で極めて重要な遺跡に位置づけられている。

 伊仙町教委の再調査は、遺跡保存のための範囲・内容確認を目的に、09年度から文化庁補助事業(町内遺跡確認調査)で継続しているもの。第1貝塚で2例目となる今回の埋葬人骨は昨年2月、石灰岩層段丘の崖下に設定のトレンチ(深さ90㌢程度)から検出され埋め戻し保管していた。1例目(82年出土、縄文時代晩期~弥生前期並行期)であるのに対し、奈良・平安時代並行期と新しくなり年代幅が大きく広がったのが特徴。今月24日からの今年度調査で発掘を再開している。

 同町教委の新里亮人学芸員(36)は「本遺跡(第1)が縄文時代並行期~古代並行期までの長期間、墓地として利用された可能性が非常に高くなった」と指摘。そして「新たな埋葬跡の発見によって、時代の異なる面縄第2、第3、第4貝塚で生活をしていた人々の墓地が、第1貝塚が立地する洞崖に存在したことの証拠となり得る」と考察する。

 人骨は仰向けでひざを立てて屈葬され、頭骨は「改葬」で抜き取られたのか無かった。今後、人骨の理化学的年代測定のほか、形質分析で身体的特徴も明らかにしていく。同埋葬地点の下に広がる谷地部分への土砂の流入・堆積状況も引き続き発掘観察し、旧地形の在り方や現地形にいたる過程や墓地の営まれ方なども追究していくという。

 近く一般対象の現場説明会も計画するほか、面縄小校舎改築に伴う「面縄第2貝塚」調査報告書も年度内刊行の予定だ。

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