『瀬戸内町内の遺跡』刊行

久慈白糖工場跡で発見されたれんが構築物(=提供写真)

20170426(瀬戸内報告書完成)
嘉徳遺跡から出土した「嘉徳式土器」など(=提供写真)

国庫補助など活用「地元の歴史知って」町教委

 

町内全域で分布調査54遺跡を確認

 

 瀬戸内町教育委員会社会教育課はこのほど、国庫補助と県補助などを活用して3年間実施した瀬戸内町内遺跡分布調査事業の報告書『瀬戸内町内の遺跡』を刊行した。報告書は二分冊で、第一分冊が貝塚時代~近世の遺跡。第二分冊は近代遺跡(戦争遺跡)が報告されている。同教委は報告書を活用して、「瀬戸内町の歴史を、町内の人や奄美の人たちに知ってもらいたい」としている。

 『瀬戸内町内の遺跡』第一分冊によると、同調査は町単独予算で実施した2003年~04年の調査に続いて、2回目となる。国の補助金や県補助金などを活用して、14年度~16年度にかけて町内全域で遺跡分布調査した結果、前回より二つ増え54遺跡が確認された。

 第一分冊は、時代区分の貝塚時代~近世までが調査対象。300部を刊行して、関係機関や学術団体などに納本される。同報告書には南西諸島の縄文時代後期(約4千年前)の指標土器の一つである「嘉徳式土器」が発見された嘉徳遺跡や、今回新たに発見された勝能=かちゆき=イザネク遺跡と県が遺構を確認した久慈白糖工場跡の調査結果がまとめられている。与路島で南西諸島初の墨書白磁が発見された、与路島の遺跡も掲載されている。

 勝能イザネク遺跡からは、徳之島伊仙町で窯跡が見つかっているカムィヤキの破片が遺物として表面採集。久慈白糖工場跡は、昨年10月に、県立埋蔵文化財センターが範囲確認調査を行い、れんが造りの方形と円形の遺構が発見されていた。今年6月には、同センターによる白糖工場跡の全貌を確認する発掘調査が予定されている。

 同報告書をまとめた町教委社会教育課の與嶺友紀也さん(埋蔵文化財担当)は、報告書の活用について「島の歴史が教科書に載ることはあまりない」とし今後も「町内の人や奄美の人たちに、瀬戸内町の歴史を知ってもらえるよう頑張りたい」と語った。