「第5回島っちゅ先輩の情熱教室」

東京で在京の若者たちに「島に帰ってコンバー」と熱く語る麓さん

あまみエフエム麓憲吾さん登場
都会の若者へ「島に帰ってコンバー」
「気持ちづくり最も大事」哲学披露
刺激受けたと参加者たちに好評

 【東京】「島の情報発信を」と立ち上げて6年目を迎えた「第5回島っちゅ先輩の情熱教室」はこのほど、世田谷ものづくり学校で開かれ、ゲスト講師にあまみエフエムの麓憲吾さんが登場。「島を出て、島外で技術・技能を覚えて、島へと戻る教育をせんばいかん」と独自の哲学を披露。参加者たちからは「刺激になった」「シマに帰るためのスキルを今から考えんばいかん」などの感想が寄せられた。

 この企画は「しーま編集部」の深田小次郎さんが6年前に立ち上げたもので、「様々な分野で活躍するシマッチュ先輩が後輩に語る在京シマッチュの交流の場」として熱い熱血トークが繰り広げられている。これまで園田明さんや山下保博さんなどが講師で招かれ今回で5人目。深田さんは「島の哲学者と思っています」と紹介。麓さんの講演をまとめた。

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 離島出身と言えず、強烈なホームシックも

 麓さんは1971年生まれで大工の棟梁の息子。大島工業高校時代からバンド活動をしていた。卒業後、電気メーカーに就職のために上京。「奄美? どこそれ」と同僚たちや世の中に奄美が知られてないことに驚き、地方、離島出身と言えず、コンプレックスを感じ始めた。自信を持っていた音楽活動も一人では何もできないことに気づき、「強烈なホームシックになった」。それでもいろいろなことをしながら踏ん張って都会で暮らしていたが23歳のときふと、「なんで、自分の生まれた場所に帰っちゃいかんのかい…」。

 楽しむ場所作りに奔走

 それでも島が好きで帰ったにもかかわらず、「楽しみがない」と不満を漏らす仲間とともに、「自分たちで楽しいことを生み出そう」と、公民館や飲み屋で音楽イベントを開催。回を重ねるにつれ、来場者や地元ミュージシャンが増えていくことに手応えや、ニーズを感じ、「自分たちでそういう環境を作ろう」と音楽活動ができるスペースを持ち合わせた飲食店を、自らの手で作り始めた。

 同時に融資を求めて金融機関を回り苦戦を強いられたが、何とか融資をとりつけ、300万円を元手に98年10月10日に「ASIVI」(あしび)をオープンさせた。

 都会の音楽家に教わった島唄のすごさ

 そんな中、都会のミュージシャンの遠藤ミチロウ氏(元スターリン)から連絡があり、ライブが開かれることとなった。

 出迎えたとき、以前から奄美に興味があったという遠藤さんに草木の名前を尋ねられたが一つも答えられない…。夜、島料理を食べながら島唄が始まり、プロのミュージシャンが興味関心を抱く。また、ミュージシャンのハシケンもワイド節をカバー。島の若者がライブで踊り、熱狂する姿を見て、それまで行ってきた働きかけや、表現によって、自分たちの自然・文化を再認識し、自信と誇りが芽生えてきた。

 それから島唄漫談バンドのサーモン&ガーリックらと共に島の文化祭的イベント「夜ネヤ、島ンチュ、リスペクチュ!!」を開催し、若手唄者や青年団などに出演してもらい、島の面白さ、かっこよさを同年代・次世代に表現していく。

 島を出た若い世代へのメッセージとして、2002年1月に東京でも開催。在京のシマッチュが多数来場し、出身アーティストのステージと共に黒糖焼酎と島口が交わされ大盛況に終えた。かつて、奄美出身で劣等感を味わった都会の地で奄美と胸を張れる瞬間でもあった。その1週間後に元ちとせがメジャーデビュー。彼女がラジオやテレビを通して枕詩で言う「奄美出身の元ちとせです」と堂々とした態度に在京出身者が自信を持ち始めたことは確かだろう。

 翌年03年は奄美群島復帰50周年。当時の青年団の復帰運動の思いを受け継ぎ、奄美群島の各島々の青年団に声をかけ、島出身アーティストを総動員して「奄美群島日本復帰50周年記念イベント・夜ネヤ・島ンチュ・リスペクチュ!!」を2日間開催、6千人が集まった。残ったのは2千万円の赤字。それでも麓さんはめげない。

 島口や島唄をシマッチュのアイデンティティーとして発信するラジオ放送局を作れないかと思案、奔走する。NPO法人を設立。地元の通信技術会社の奄美通信システムとともに、設立準備を進め、支援するサポーター会員、広告クライアントを募り、07年5月「あまみエフエム」を開局した。10年の奄美市住用町などを襲った大豪雨の際に、連日生放送を続けるなど、奄美からの発信は全国的に知られていくこととなった。

 島への貢献のための学校教育を

 島ゆむたが流れるエフエム局。確実に島口や島唄が耳になじむ島の環境を作った麓さんは言う。「行政のできること、自分たちででることがあると思う。奄美は沖縄の文化・観光の動向をよく観察し、次世代を見据えた独自性を見出すことが大事。環境づくりはハード、ソフト両面大切。気持ちづくりが最も大事」と訴える。

 そして、島の人口減少に歯止めをかけるために、「昔、『将来島に戻らねば』と意識せずに島を就職や進学で出ていったみなさんが、ここ数年、島の文化の高まりやメディア露出などが多くなり、アイデンティティーが改めて芽生え、島への関わりや貢献意識が高まっている。そんな中、地元にいる私たちが感じる課題を共有し解決していければと思うことと、これから島を巣立つ子どもたちが島を出る前に、島に対する意識づくりを持って、少しでも島へ戻れる環境づくりが大切」と力説した。

 参加者たちは土濱笑店に移動して二次会へ。名刺交換するなど若いシマッチュ同士の交流会もあり、前川未来さんは「すごく刺激になりました。東京で就職したばかりだけど、いつか島に帰るためにスキルアップします」と感想を述べた。

 また、年配の人の中には「定年になって島に帰りたいが長男ではない自分の居場所はない。帰っても年金で十分暮らせるが、そういう立場の人たちも人口増加につながるのでシェアハウスや空き家などの紹介をして欲しい」との声も出ていた。