奄美・沖縄諸島 先史学の最前線③

城久遺跡群=ここで活躍していた人々は何を食べていたのだろうか?人骨から読み解く

米田さん写真・手久津久遺跡1

米田さん写真・手久津久遺跡2
手久津久遺跡出土の人骨サンプリングの様子=これからこの人が何を食べていたのか探求する

人骨の語る物語に耳を傾ける
米田  穣(東京大学・総合研究博物館)

 私たちホモ・サピエンスを研究対象とする生物学は、自然人類学や形質人類学と呼ばれる。この分野でいま最も注目を集める「熱い」場所が奄美・沖縄諸島である。沖縄島のサキタリ洞穴遺跡で見つかった約3万年前の釣針らしき貝製の道具や、石垣島の新空港の地下からみつかった白保竿根田原洞穴遺跡の2万年前よりも古い人骨は全国の紙面をにぎわした。これらは単なる「最古」の発見ではなく、ヒトが島に暮らすことの意味を、人類進化という大きな視点で考えるヒントを与えてくれる。

 3万年前に島に生活した人間がいたと聞いて、皆さんはどのように感じるだろうか。人類学者は、近年の発掘調査による発見と新しい分析手法を駆使して、その意味を考えてきた。考古学者は主に「物質文化」と呼ばれる道具や生活跡を研究対象とするので、縄文時代よりも古い時代の石器が見つからない沖縄では、考古学者は活躍する機会がなかった。しかし、沖縄では古い人骨が残されているので、骨の形を観察して、他地域の集団との近縁関係や普段の生活や病気の痕跡が調べられてきた。私たちは少し視点をかえて、人骨を構成する物質の成分を分析することで、南西諸島の島々に暮らした人々の食生活を調べている。とくに農業によって食料が生産される以前の時代は、天然の資源だけで島に暮らしており、これは世界でも類例の少ないきわめて重要な事例と言える。南西諸島の食生活史の特徴は、きわめてダイナミックな変化にあると考えている。

 そのダイナミックな変遷をここでご紹介するには、紙幅が限られているので、ここでは喜界島でみつかった古代人の事例を紹介したい。喜界島は近年の発掘で、城久遺跡群から大量の大陸製・朝鮮製の陶磁器が見つかり、崩り遺跡からは12世紀の製鉄跡が見つかっている。古代史の常識を覆す重要な拠点が、喜界島にあったことが明らかになってきた。これらの遺跡からは、実は古人骨も多数発見されており、当時の人々について重要な情報を提供してくれるはずだ。城久遺跡群と崩り遺跡の人骨で同位体を分析した結果からは、13世紀ごろから雑穀の利用が多くなったことが示されている。

 さらに興味深いのは、半田遺跡で合葬されていた女性と乳児の分析結果だ。この二人はほぼ同じ食生活だったことが分かった。二人が親子だったら当然と思われたかもしれないが、乳児と母親が同じ食生活というのは実は奇妙なことだ。乳児は血液からつくられる母乳を飲んでいるので、重たい窒素同位体が濃縮するという肉食動物の特徴がみられるはずだ。しかし、半田遺跡の乳児では母乳を飲んだ証拠はみられなかった。乳児が母乳を飲んでいなかったことは、この二人が亡くなった理由と関連しているかもしれない。

 人骨は個人について情報を与えてくれる数少ない考古遺物である。私たちが人骨の語る物語をどこまで理解できているか、本シンポジウムにて確認してもらいたい。