新時代あまみ 山村留学を生かす(下)

新時代あまみ 山村留学を生かす(下)

モズク養殖など新たな挑戦を始めた平田集落の盛宮さん

若い人の定着が課題
モズク養殖に着目次見据えて活動継続

 農業班のリーダーとして移住して来るI・Uターン者に、就農しやすい配慮を見せる盛宮信治さん(70)は6年前にUターン。その盛宮さんは活性化対策委員会などの経験を生かし、村の農地利用最適化推進委員に就任。活躍の場が村内全域に広がり、農業委員らと連携して就農希望者などに農地をあっせんする。

 盛宮さんは阿室校区のさらなる活性化に向け、新たな挑戦を始めた。盛宮さんのこれまでの活動や地域への貢献などを振り返る。

 盛宮さんは1948年生まれで、阿室中学校を卒業後に関東の蛍光灯のコンデンサを作る工場に就職した。3年間勤めて、関西の鉄工所に移り運送会社などに勤務。65歳になった2013年12月に帰郷を思い立ち、故郷の宇検村にUターンした。

 盛宮さんは戻って来て親戚のタンカン畑を貸してもらい、タンカン栽培で農業に関わることに。14年4月からは、活性化対策委員会の会長に就任する。

 翌年から18年3月までは、平田集落の区長を務めた。委員会の中では農業班のリーダーとして、今年3月まで移住者の就農の面倒をみて便宜を図っている。

 自身が育てたパッションフルーツをUターンしてきた後輩の新元嗣通さんに譲ったことを、「まずは自分でやってみて、可能性を探って次の人がやりやすいようにとやってきた」と説明。これは農業班だけでなく、平田集落では区長も2年間で後継者に回すようにしているという。盛宮さんは、「同じ人が長くするのでは、若い人に回していけなくなる」と組織が硬直化するのを危惧している。

 □山村留学の課題

 盛宮さんは自身が活性化対策委員会の会長だった時を、「山村留学の成果で学校も存続し、校区内の人口が増えたのが大きかった」と話した。農業班のリーダーとしては、就農希望のI・Uターン者に畑などを紹介してきたという。パッションフルーツ栽培は農地の所有者に、「『使わないで荒れるよりは、農業に利用してもらった方が良い』と無料で借りることができた」と振り返った。

 「特産品の在来ニンニクの収穫作業は、校区内の高齢者も喜んで参加してくれた」、「山村留学で人が増え、3集落間の交流が進み連帯感に深まりを感じた」と山村留学を生かした取り組みを肯定する。

 盛宮さんは山村留学の課題は、中学校を卒業すると進学で離れてしまうことから元に戻ってしまい、若い人の定着につながっていない点と指摘する。課題の解決に「起業して活性化すれば雇用が生まれる。若い人の呼び込みを図りたい」と新しい事業展開を構想している。

 □モズク養殖

 盛宮さんはかつて、焼内湾でも行われていたモズク養殖に着目する。「農業が収穫まで年間を通して手がかかるのに対して、モズクは収穫期前の数カ月間の作業で済む」と利点を説明する。

 盛宮さんは農作業の合間にモズク養殖を行うことで、「収入増が実現できると、山村留学などの移住者の追い風になるのでは」と期待を寄せる。またここ数年の沖縄県の産地の不振などでモズクの需要も高まっていることから、養殖に成功すれば大きな収入確保の手段になるという。

 盛宮さんは有志たちと9人で、「宇検村iモズク生産グループ」を立ち上げた。グループの活動でモズク生産栽培技術向上や養殖経営の安定を通して、地域活性化や雇用拡大などを図る。

 盛宮さんたちはすでに資金を出し合い、モズクの胞子を付着させる網などの準備に着手。宇検村漁協総会で報告も済ませ、今年9月に養殖事業を開始する予定。「次を見据えて活動が継続できればいい。活性化対策委員会の活動費が増やせるように、取り組んでいきたい」と語った。

 親子山村留学で人口が増え、集落行事や学校行事に大きな力となっている。収入獲得の手段を増やし、若い世代が集落で暮らしていける取り組みが今後も求められる。
 (松村智行)