災害医療派遣チーム「DMAT」に指名された奄美出身の金城さん
鹿児島市でタクシー運転手として勤める金城誠二さん(60)は、奄美出身。「人生は車一筋」というほど車大好きだ。無事故無違反でゴールド免許。飲酒もしない。その金城さんの仕事場は、乳児の手術もできるNICU「こうのとり号」や高度救急車など緊急時に対応する車両にも及ぶ。
横浜港に停泊したクルーズ船の横に、乗客の新型コロナウイルス対応を行う緊急車両がテレビ画面に大きく映し出されていたが、これらの車両は、東京都と神奈川県の災害医療派遣チーム「DMAT」だという。このチーム編成に鹿児島県も対応することになり、要員3人の一人として金城さんも抜てきされた。今月28日に講習を受ける予定だったが延期になったという。
金城さんは30年前に長距離トラックを運転中、雪の降る冬の山陽道で20台の自動車の玉突き事故に巻き込まれた。トラックに両手、体、下半身をはさまれズタズタに。折れた骨が体外に露出するという開放骨折状態。広島県での事故だったが、島根県の病院に搬送移動、応急措置のみで手術不可能なことから山口大学付属病院に再搬送、13時間に及ぶ大手術を受けた。
これまでに全身の手術は13回、体には400カ所以上の切り傷だらけでブラックジャック並み。「裸を見たらびっくりするよ」と金城さんは笑いながら話す。
金城さんのリハビリを担当した医師は「車椅子の生活になると思ってね」と説明した。最初のリハビリ当日、歩行訓練のため手すり平行棒に向かった。手の力だけで立った。足に体重をかけたが、「生まれたばかりの子ジカのようで足が震え、思わず涙ボロボロだった」と振り返る。
まさか、その後のリハビリで3年後には歩いて帰れるようになるとはだれも予想できなかった。が、担当医師から「ゴルフ場は芝生で土が柔らかいからリハビリにいいかもしれない」とゴルフを勧められ、少しずつゴルフ場に出かけ、九州障害者ゴルフ連盟鹿児島県副支部長を務めるほどになった。
今は大事故に遭ったような歩行の状況は全く見られない金城さん。亡くなった父親のことを思い出す。「親父は昭和7年生まれ。免許を持っていて士官のお抱え運転手になった。だから戦地に行かなくてすんだ。免許のおかげで命拾いした」と話していたという。
今回の「DMAT」の指名には「自分だって新型コロナウイルスは怖いよ。でも、誰かがせんといかんからねえ。鹿児島の3人の中に選ばれてしまった。名誉なことと思って頑張るよ。親父も向こうから応援してくれている」と語った。