自身のルーツを訪ねる墓参りの様子。円内は多方面で活躍する保岡さん
経験したことのない「コロナ禍」での自粛生活を強いられながらも、遠い故郷のため奮闘している人たちがいる。感染終息という「長いトンネル」の向こう側に、彼らはいったいどんな景色を描いているのだろうか。奄美への思いと、プロフィールを紹介しながら次の人にバトンをつなぐ連載「奄美のために出来ること。新型コロナウイルスと私は戦う!」をスタートする。第1回は、企画の発端になった人物が登場。事業コンサルタントやイベントで活躍する、プロデューサーの保岡瑛子さんを取り上げる前編をおくる。(東京支局・高田賢一)
新型コロナウイルスと無縁だった奄美に初の感染者が確認された頃、本社に「病気や詐欺などさまざまな失敗を乗り越え、奄美に貢献する保岡瑛子さんを紹介してほしい」との読者投稿があった。
「上場企業の秘書を3年間勤めた後、渡米。ニューヨークに日本人を6000人招いての大イベントを成功させるなどしました。ところが20代のサイパン、2002年にはカリフォルニアで詐欺に遭うなど、さまざまな困難に陥ったのです。舌前がん(舌がんに変わる前の状態)に侵されるなど、体調も最悪でした。しかし、曽祖父が東京に進出してくれた苦労や、先祖DNAの強さ、命をバトンしてくださった尊さを思い『保岡瑛子』だから乗り越えられる、と信じてきました。死ぬこと以外は、かすり傷と言い聞かせてきました。鋼のメンタルを作るべく何が来た時もジタバタしないを心がけてきました。根底には奄美の存在がありました」
初めて訪れた奄美空港で、神の引き合わせともいえる不思議な体験をすることに。父方のルーツ宇検村名柄を訪れる。
「2000年に、墓参りのため降り立った奄美空港は、まだ昭和の香りを漂わせていました。そこで出会った著名なユタ(霊媒師)の方々から『自分たちより能力が高い』と言われたのです。東京・世田谷の祖父の屋敷では、油ぞーめんがよく出されました。祖父は黒糖を割り、食べながら『先祖を大切にしなさい』と話していたものです。その祖父と幼少より多磨霊園にある、曽祖父母の墓にも足を運んだものです」
大叔父には保岡武久氏(内閣官房副長官)、従兄弟叔父には保岡興治氏(元法相)。家系から2人の政治家を輩出しているが、自身は事業家(㈲フォーワークス代表取締役社長)として奄美大島をサポートしている。
「『何もしないことをしに行く』をテーマとして、Team EIKOを主宰し各地を訪れる、隠れ家という意味のリトリートは通算5回目を数えます。奄美へは2018年から。30人で瀬戸内町のHOTEL THE SCENEを4泊5日借り上げて行っております。参加者には、自分自身を見詰め直す時間を満喫していただき大好評です。奄美大島にしかないマベパールや藍染、泥染、鶏飯、シマ唄などを知ってもらえる絶好の機会だと考えております」
一行は飲食や土産などで奄美に経済効果をもたらし、大きな注目を浴びたという。新型コロナウイルスの影響は「3回目となる、奄美でのリトリートを秋に延期したくらいですね」と笑顔で語る保岡さん。果たして、そこにはどんな秘密があるのか。コロナへの対策や終息後の思いなどは、後編で報告したい。
保岡瑛子(やすおか・えいこ)2月7日、東京都大田区田園調布生まれ。「QVCジャパン」「JCOM」などのテレビショッピングのキャスティング、イベント企画運営。企業コンサルタントなど幅広く活躍。東京・横浜を拠点とした日本法人は23期目を迎えた。