コロナ禍・奄美のために出来ること=③=

魂を揺さぶる声で聴衆を魅了した朝崎郁恵さん=2019年6月に奄美パークでの恩返しコンサート(奄美とアイヌの民謡コラボライブの模様)

「奥深い奄美のシマ唄に向き合う時間をくれた」。コロナ禍にも前向きに
少しでも島の人に勇気を!連載登場は「神の引き合わせ」

 奄美への思いと、登場人物のプロフィールを紹介しながら次の人にバトンをつなぐ連載「奄美のためにできること。新型コロナウイルスと私は戦う!」の第3回。プロデューサーの保岡瑛子さんからバトンを受けた、奄美を代表する唄者・朝崎郁恵さんが登場する前編を届ける。 (東京支局・高田賢一)

 共にノロにつながる二人同士。「神の引き合わせ」の予感が…。
「保岡瑛子さんから丁寧なお手紙をいただきました。彼女の先祖にノロ(女性神職)がいらっしゃるということのようですが、実は私もおばあちゃんが、そうでした。どこかでつながっているのかもしれませんね。これこそ神の引き合わせでしょうか。こうして連載に関わったのも、きっとそうでしょう。『朝花節』にあるようにね。少しでも島の人に勇気を与えられることができれば、と引き受けたのですから…」

 新型コロナウイルスでは、ライブ活動が中止に追い込まれるなど生活が急変。

 「4月2日に予定していた渋谷のジャズクラブでのライブ『Ryo Yoshimata Presents Live Vol23』が、3月13日の時点で公演延期を発表しました。ずっとお世話になっている著名な作曲家の吉俣良さんとの定期的なライブで、本当に楽しみにしておりましたが、仕方ありませんね。マスクをして週に2回ほどの買い物に出る以外はほとんど自宅で過ごしております。さすがにマスクはしておりませんが、届け物がある時などは、マスクして対応。もちろん手洗いとうがいは、しっかりとしておりますよ」

 不要不急の遠出などを控えるよう、自粛ムードにも前向きにとらえる。

 「自粛と言われますが、8歳の頃でしょうか。太平洋戦争の空襲警報のたびに花富の防空壕に駆け込んだりしたものです。食べ物もあまりなかった。そんな当時のことを思えば、それほど苦痛にも思えないのです。ただ、いつどうなるのかなどを国がちっとも言ってくれないのは、不満ですね。とはいえ、おかげで時間はたっぷりあります。唄の背景や意味などを改めて調べて、整理しております。普段は舞台に立っている時間が長いため、できなかったシマ唄の勉強のいい機会ととらえています。長年唄ってまいりましたが、まだまだ知り尽くしていないのです。この歳になって、より分かる唄もあるのです。それほど奄美の唄は奥深いのですよ」

 戦争という悲惨な歴史にとまどいながら、明日に命をつなごうと防空壕に飛び込んだ人たちの中に身を置き、やがて、少女は天賦の才能を刻んでいった。

 「とにかく必死の思いで逃げたものです。家族や集落の人たちと共に、命をつないだ防空壕の記憶は生涯忘れられません。集落のシマ唄を研究していた鍼灸師の父(辰恕)や母(ウサダ)の影響で始めたシマ唄でしたが、おとなしくて人前で唄うとは思われていなかったようです。祖母(サキ)は私が幼い頃に亡くなっており、記憶はあまりないですが喜界島一の唄者だったと聞かされました。今は、すぐにでも奄美へ飛んで唄うことで皆さんに勇気を与えられたらどんなに私も幸せなことか。そう思い、いつでも唄を届けられるように備えているのです」

    ◇

 朝崎郁恵(あさざき・いくえ)1935(昭和10)年11月11日瀬戸内町加計呂麻生まれ。10代にして天才唄者と言われる。奄美島唄の伝統を守り、世代を超えて人々の魂を揺さぶっている。米ニューヨークカーネギーホールなど国内外の数々の舞台を経験する傍ら、数多くのアーティストらと共演。