コロナ禍・奄美のために出来ること=⑤=

高齢者施設で一行と共に演奏する山下良光さん(左から4人目)円内は渡連の豊年祭の模様(共に昨年の訪問から)

渡連の豊年祭に毎年20人の出身者らと参加。高齢者施設へも慰問
孤独感を癒やしてくれた故郷の風景。島の人たちの情けに感謝

 奄美への思いと、登場人物を紹介しながら次の人にバトンをつなぐ「奄美のためにできること。新型コロナウイルスと私は戦う!」の第5回。奄美を代表する唄者・朝崎郁恵さんからつながった、元東京瀬戸内会会長・山下良光さんが登場する。(東京支局・高田賢一)

 朝崎さんから「よっちゃん」と呼ばれる師弟関係に。

 「朝崎先生を郷友会で見掛けて、人を通じて紹介していだだき1980(昭和55)年頃から先生の島唄教室へ通い、蛇味線を始めました。その後、先生が郷友会や講演で蛇味線を担当された方が亡くなり、私が担当することに。『よっちゃん』と声を掛けていただき個人的にレッスンを受けることに。唄の内容を知らないと駄目だと歌詞の意味を、成り立ちから丁寧に説明されたのは印象に残ります。あそこまでこだわるのは、先生だけだと思いますね。とにかくすごい人ですよ」

 1962(昭和37)年、先に上京していた兄妹を頼ってエンジニアを目指す。

 「兄(忠勝)、姉(美代子)を頼りに大阪経由で上京。技術を身につけたくて配電盤、制御盤の製作会社に入社しエンジニアを目指して、何とか夢を叶えました。顧問を務めている会社は、コロナで2か月ほど休業を余儀なくされましたが、今は出社してます」

 目黒区のアパートに一人暮らしした当時。孤独感を癒やしてくれた島の風景。

 「島のなまりが取れず、恥ずかしい思いもしましたね。そんなとき、島の面影が不思議と浮かんでくるのです。待網埼の潮騒や磯の釣り場などを思い『きばらんば~、あと一息』と自身を奮い立たせたこともありました。渡連で育ったころの、島の人たちの情けに感謝しかありません」

 実弟は渡久地政信の最後の弟子、日高三郎さん。豊年祭で続く、故郷との絆。

 「渡連の豊年祭へ2010年に『六調会』のメンバーで参加しました。それ以来、毎年10人から20人ほどで参加することにしております。奉納相撲の後に、年配者が一堂に会し元気な姿を確かめ合う式次第があるのです。加計呂麻観光してバーベキューをしたりしますが、前日にはたいてい高齢者施設も訪問して、唄も披露します。日高はすぐ下の弟です。歌がうまいのは、兄譲りかな(笑い)」

 故郷を宣伝も、世界自然遺産登録には懐疑的だ。

 「渡連は浜の美しさが自慢ですね。また豊年祭は、他の集落と違って曜日に限らず毎年旧暦の8月15日に行われるから、独特の空気が漂う。それを味わってほしい。一度参加すると、その楽しさに『また行きたい』の声があるのですが、今年はコロナで参加できるか心配です。地元の方々が『島へ来ないで』と言われるのも分かりますね。世界自然遺産登録は、個人的にはしなくていいと思います。観光客へうまく対応できるか心配なのです」 

 「こよなく愛する故郷が、心無い観光客によって汚されてはならない」と語る山下良光さん。次回は、関東天城町会会長の里村哲正さんが登場する。

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 山下良光(やました・よしみつ)1946(昭和21)年3月12日瀬戸内町渡連生まれ。各種配電盤設計製作などを請け負う、株式会社YGPの技術部顧問。「六調会」を2005年に立ち上げる。元東京瀬戸内会会長。