冨岡医師のリモート講演を聞く来場者ら
「奄美パーク文化講演会」が11日、奄美市笠利町の県奄美パークであり、鹿児島市の米盛病院副院長の冨岡譲二医師が「日本の災害医療の歴史と現在」と題し、鹿児島市からリモートでの講演を行った。冨岡医師は県内で発生した新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)などについて報告したほか、DMAT(災害派遣医療チーム)など国内の災害医療の現状や課題などを紹介した。
冨岡医師はDMATの一員として東日本大震災の医療支援などにも参加、現在は県の災害医療コーディネーターとして、新型コロナ対応などにも従事している。
新型コロナについては与論島のクラスターの要因として、同島の伝統的な飲酒方法(まわし飲み)や症状が出た後も勤務を継続した―ことなどを上げた一方、「町長が早期に来島自粛を呼び掛けるなど危機意識をもって対応したことで、50人規模のクラスターとしては比較的短期間で感染を抑え込むことができた」などと評価。飲食店等での感染対策や港湾、空港などでの水際対策の徹底などを呼び掛けた。
災害医療については、1995年に発生した阪神淡路大震災を機に、DMATの整備がすすめられたことなどを紹介。同震災で約6500人が犠牲となったことに触れ、「災害時に迅速に被災地に駆けつけ救急医療を行うDMATがあれば、もっと多くの命を救うことができたのではないか」などと語った。
2011年の東日本大震災では、発生直後に全国から82チーム、384人のDMATが駆け付け、医療支援を行ったが、情報不足から支援が行き届かないなど課題もあったという。「情報をみんなで共有できることが重要。継ぎ目のない医療支援を行うことが求められている」などと語った。
災害医療にとって、重症度によって治療の順番を決める「トリアージ」の重要性を指摘、「1人の命を救うために10人の命を失ってはいけない」などと話し、限られた人的・物的資源の中で、最大多数の傷病者に最善の医療を行うことが求められていることなどを説明した。
また、東日本大震災では、救助活動に当たった医療従事者や消防、警察、行政関係者らに多くの犠牲者が出たことにも触れ、「自らの命が助からなければ、人を助けることはできない。だから、まずは自分の命を守るため、逃げることも必要。生き抜く信念を持って、危険を感じたら逃げる決断をしてほしい」と訴えた。