新生丸遭難事故から68年

慰霊碑に手を合わせる参列者=4日午前6時ごろ、知名町=

住民らが慰霊祭
知名町屋子母字

 【沖永良部】新生丸遭難事故から68年。知名町屋子母集落で4日、慰霊祭が行われた。住民ら25人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

 知名町誌によると、沖縄県那覇から知名町小米港に向かっていた新生丸(約18㌧)は、1953年2月4日朝に同町屋子母沖で高波を受け沈没した。乗客乗員82人のうち、80人が犠牲となった。

 慰霊祭は、事故が起きた屋子母沖を見渡せる越之山神社で行われた。神社の隣には、住民や遺族らが中心となって8年前に慰霊碑が建立されている。

 参列者は1人ずつ慰霊碑に手を合わせた後、全員で屋子母沖に体を向け黙とうした。

 区長の青木経二さん(66)は「非常に悲しい事故。この日を忘れないためにも、住民と協力しながら慰霊祭を続けていきたい」と話した。