花咲かじいじのヒカンザクラ千本が満開

朝仁の街並みを見下ろして咲き誇る池田さんの千本桜

小宿里の土手沿いに植えられていたヒカンザクラを背に写真に収まる池田さん夫婦と永二さん(中央)

奄美市の池田さん所有 小宿里の土手沿いのヒカンザクラ31本も移植

 奄美市名瀬朝仁町の池田俊一さん(80)が所有する「朝仁千年松」近くの山のヒカンザクラ千本が満開を迎え、かつての旧道を走る車から降りて見事に咲き誇るサクラ山を登ってサクラを愛でる人たちや写真に収める人たちが7日、大勢訪れていた。

 7年前に1000本のヒカンザクラの植樹を達成した池田さん。標高90㍍の山の傾斜地に、現在は大きく育った白いヒカンザクラ含めて1000本以上が今が盛りと咲き誇る。当時、「おじいちゃんは花咲かじいじみたい」と喜んでいた久保ひかりさんは小宿小3年生から今年高校1年生になり、山桜の様子と池田さん夫婦の写真を収めるカメラマンに成長。

 池田さんはほとんどの桜を種子から育ててきたが、中にはシシ猟中に見つけた若木等を採取して妻の美佐世さん(76)や家族、友人らの協力を受けながら、年平均150本以上、最も多い時には300本以上植えてきた。

 「1本1本が思い出のサクラ。ほら、これが里からトラックに載せて運んできたヒカンザクラよ。あれは、春日町から。これは津名久のサクラ。あそこは娘が三儀山のサクラの種から育てて大きくなった苗、あの大木は最初からこの山にあった1本」と指さしながら、まるで孫やひ孫を語るように笑顔でサクラの思い出を語った。

 その中に、小宿大川の拡幅工事の際に伐採が決まっていた31本のヒカンザクラも移植されていたという。小宿里の永二郡二さん(故人)が大川の土手沿いに植えたもので、地元では「郡二ロード」と親しまれてきたヒカンザクラだった。拡幅工事のために伐採が決まった時、池田さんの耳に入った。当時、永二さんの次男の弘登さんとシシ鍋をつつきながら、31本のヒカンザクラの移植作業の相談を行ったという。

 この日は、永二さんの妻のテイ子さん(94)も池田さんの山を初めて訪れ、移植された里のヒカンザクラを見学、「ありがたいです。ここで、サクラの頃だけでなく主人と会えるのを楽しみにさせてもらいます」と目を潤ませ感謝していた。

 また、長浜から朝仁に買い物に訪れた崎田玲奈さん(35)は、娘2人と姪を同行して山に登り「いいものを見せてもらった。白いサクラは初めて見た。すごいですね」と感激しきり。

 池田さんは、今年も唄者や友人たちを集めて祝宴を行う予定だったが「コロナの中では無理なので、残念だけど中止した。でも皆さんに見てもらいたいので、ぜひ山に登って見学してください」と千本桜の山を開放している。