鎮座祭が執り行われ、参加した住民たち
集落の繁栄と幸福を願う
笠利町外金久
奄美市笠利町外金久集落(235世帯493人)で11日、厳島神社新築「鎮座祭」が執り行われた。集落の力を結集し神社本体、鳥居を約60人の手作りで完成させた。
笠利町誌によると、厳島神社は明治以前は「弁天宮」と呼ばれ、社殿には1838(天保9)年に石工が作った神体・弁財天石造がまつられている。1871(明治4)年以降「厳島神社」と改められ、1897(同30)年ごろ、外金久の氏神になったという。
社殿は、笠利湾の立神岩や、遠くに横当島を望む、夕日の美しいロケーション、海抜15㍍の高台にある。安産、航海の神様として集落にとって不可欠な存在。集落の繁栄と多くの人々の幸福を願っている。
住民によると、社殿は、鉄筋コンクリート製で築50~60年経過していたとみられ、雨漏りするなど老朽化が深刻だった。工事は昨年12月に着工。約2カ月かけて、社殿と鳥居を全て集落の住民で完成させた。
壮年団長の盛幸三郎さん(62)は「資材、道具を持ち寄って完成させた。感慨深い」と話した。
諏訪光三区長(69)は「集落皆の協力で出来た。思いがたくさん詰まった大切な社殿。参拝にきてほしい」と語った。