「奄美の世界遺産セミナー」オンライン開催

生物文化多様性について語る筑波大学大学院・吉田教授

自然遺産も文化と一体
世界遺産「地域の宝の上に成り立っている」

 (公財)日本自然保護協会は19日夜、「自然と文化、地域と世界をつなぐ 奄美の世界遺産セミナー」をオンラインで無料開催し、ZoomとYouTube視聴合わせて約80人が参加した。3人の講師が登壇し、「自然も文化もどちらも大切。奄美の魅力を高め、伝えていこう」と訴えた。

 奄美群島の地域の自然とともに受け継がれてきた文化と自然の重要性について各専門家が講演し、世界自然遺産に登録されることの意義や、登録後に肝要なことを改めて一緒に考える機会とすることが目的。自然、文化、世界遺産のそれぞれの視点による3人の講演が行われた。

 ①環境省奄美野生生物保護センターの早瀬穂奈実さんによる「島人の宝を世界の宝へ 世界遺産を目指す奄美大島の自然」。早瀬さんはまず、日本の0・19%の面積しかないのにたくさんの生物、特に固有種や希少種が多く生息し、生物多様性の環境を有していることを説明。それは琉球列島の成り立ちや黒潮、降雨量の多さ、多様な環境などが影響しているとした。

 次に世界遺産は「国や民族を超えて、次の世代に受け継いでいくべき価値を持つ世界の宝物」で、奄美は生物多様性が評価され世界自然遺産候補に。自然環境を守るために国立公園化し、▽野生生物の交通事故(ロードキル)▽外来種問題▽希少な動植物の違法採取・採集▽観光客の増加による自然破壊(オーバーユース)ーなどの課題に地域と連携しながら取り組んでいると説明。

 早瀬さんは「自然は簡単に失われてしまう。我々は自然を守る責任を負うことになる。自然を守り、地域を生かす世界自然遺産になれば地域が豊かになる」と訴えた。

 ②奄美市立奄美博物館の喜友名正弥さんによる「奄美の歴史・文化と私たちの暮らし」。喜友名さんは奄美の歴史を奄美世(旧石器時代~古代並行期)、アジ世(中世)、那覇世(琉球国統治時代)、大和世(薩摩藩統治時代)に分けて説明。

 約3万年前には人間が活動し、アジ世には徳之島・伊仙町でカムィヤキ(陶器)がつくられた。那覇世に七つの間切りという制度が導入され、今の地名につながった。大和世には奄美大島の行政拠点が何度か移された後名瀬の伊津部に置かれ、ここから名瀬の町が発展した。飲食店街が一か所に集められたのもこの頃で、それが屋仁川の形成につながったという。

 この他八月踊りなどの伝統行事や、旧暦行事カレンダー作成・いつでもどこからでも楽しめる「お家で奄美デジタル博物館事業」など奄美市の取り組みも紹介。喜友名さんは「奄美は沖縄とは違う歩みをし、文化も異なる。違いをどんどん発信したい」と語った。

 ③筑波大学大学院世界遺産専攻教授の吉田正人さんによる「自然と文化をつなぐ~地域(シマ)遺産(いさん)からはじまる世界遺産の保護」。吉田さんはまず世界遺産がどのようにできたかを説明。もともと文化遺産と自然遺産の条約案は別々だったが、1972年にひとつの条約に。評価はそれぞれだったが、自然と文化の関係に関する研究も行われるようになった。

 富士山は当初自然遺産として登録を目指していたが、2013年に文化遺産として登録。でも実際は自然と文化が融合している。白神山地は当初「ブナ原生林」と「ブナ帯文化」の両方の価値があげられていたが、登録後、文化的価値が省みられなくなってしまった。屋久島は環境と文化の関係を重視した環境文化構想を策定していたが、登録後屋久杉がメインに。再び自然と文化の価値に注目が集まっているという。

 奄美大島の場合はどうか。世界遺産と地域遺産、自然遺産と文化遺産、有形遺産と無形遺産を結ぶ「生物文化多様性」に基づいたインタープリテーション(自然・文化・歴史をわかりやすく人々に伝えること)が必要だと吉田さんは訴えた。「生物多様性が高ければ文化多様性も高くなり、文化多様性が高ければ生物多様性も高くなる。自然と文化、どちらも大切であり、世界遺産は地域の宝の上に成り立っている。自然遺産も文化と一体。忘れないでほしい」と念を押した。

 また、特定の地域が過剰利用とならないような保全管理計画とモニタリング調査に基づいた来訪者管理が必要で、知床五湖や小笠原諸島などの事例を紹介した。

 参加者からはチャット機能によって活発な質問があった。「世界遺産登録後に一時期観光客が増えてもすぐ落ち込むと聞いた。どうしたらいいか?」の質問に対して、吉田さんは「小笠原諸島は来訪者数を抑え、満足度を大事にした。持続的にできない、満足度を下げることはやめ、長続きする、繰り返し来てくれるよう評判のよいやり方をするのがよい」と答えた。