第46代横綱朝潮太郎記念像前に立つコニシキさんと、師匠(米川家)への墓参りの様子
奄美への思いと、登場人物のプロフィルに迫りながらバトンをつないでいく「奄美のためにできること。新型コロナウイルスと私は闘う!」の第19回。馬淵澄夫衆院議員の紹介で、元大相撲・大関小錦のKONISHIKIさんが登場する前編をおくる。(東京支局・高田賢一)
志を抱き大海原を渡った少年。出会いの場所は、鍛錬のスポット。
「御徒町のトレーニングジムで馬淵さんとは、よく顔を合わせていました。宮畑豊会長を通じ、いろんな人と知り合ったのです。それからいっそう奄美を深く知ることになりましたね。徳之島を初めて訪れたのは、高砂部屋の夏合宿で19歳のとき。イメージ?そうね、豊かな自然から感じる様子は、僕の親のサモアという島に似ているなと思ったことを覚えていますよ。1週間ぐらいの滞在だったかなあ。それから何度行ったか数えきれないよ。食べ物は何と言っても、豚だね。東京では味わえないものだ。豚は大好物だから、本当に気に入ったよ。奄美の鶏飯ももちろん大好きだけれど、豚だね。ヤギ汁? 独特の臭いを嫌う人はいると聞くけれど、僕は大丈夫。ハワイでも似たようなものもあるし、世界中にヤギはいるでしょ(笑い)。大相撲の巡業で日本中や世界各国も回ったけれど、食べ物で困ったことは一度もない。でも島の豚は特別だね。話しているうち、また食べたくなっちゃった(笑い)」
タレント業のほか、アーティストとして講演活動、テレビ出演などで才能を発揮するKONISHIKIさんだが、コロナ禍で生活も一変したようだ。
「影響? そりゃたくさんあったよ。コロナのせいで、このようにリモートでの取材を受けるようになり、仕事の仕方が半端ないほど変わったね。好きな所に行くこともできなくなったし、徳之島での親方の銅像の除幕式(昨年12月予定)も中止になってしまったのは、本当に残念だったよ。全ての人に言えることだけれど、気を付けて過ごさないと駄目。一番の影響は、外に出る機会が減ったこと。出ても会話は極端に少なくなった。変に気を使って、まるで普通じゃない。僕の場合、人の前に出て仕事をこなしていたから、それがほとんどなくなってしまった」
さまざまな人たちと接した体験から、徳之島の人たちはどう映ったのか。
「巡業で日本の隅々まで足を運んだけれど、島の人たちは割とシャイ。おとなしい感じ。ちょっと自分を抑え気味、そしてゆったりとしている。それは島独特のことだと思うし、とてもいいことだと思うよ。奄美大島、徳之島には1年で2、3回行くかな。一番の理由は仲間がいるから。大自然に囲まれながら、地元の仲間と話したり、飲んだり、ゆっくりと過ごす。最低は4、5日いる。基本島は大好きだから、余裕があったら日本の島をあちこち訪ねてみたいね」
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KONISHIKI(小錦八十吉=コニシキヤソキチ)1963年、12月31日に米ハワイ州オアフ島で生まれる。外国人力士として初の大関として活躍。幕内での優勝は3回。引退後は、タレント、アーティストとして講演活動など幅広く活躍。コマーシャルやハワイアンライブ、NHKの子供番組などにも出演。ユーチューブで料理もアップしている。