奄美のために出来ること21

奄美ツアーを実現したいと語る藤波さん(円内はレスラー人生50周年をリングで迎えた様子)

奄美の空気感に癒やされ大声援に奮闘
故郷は、自身を成長させるエネルギー

 奄美への思いと、登場人物のプロフィルに迫りながらバトンをつないでいく「奄美のためにできること。新型コロナウイルスと私は闘う!」の第21回。元大相撲・大関小錦のKONISHIKIさんの紹介で、プロレス界のレジェンド・藤波辰爾さんが登場する前編をおくる。 (東京支局・高田賢一)

 沖縄から北上し島から島へ、大相撲のような巡業。 

 「コニシキとは彼が現役の頃からの付き合い。とっても面倒見がよくてね。僕の家でのBBQでは、自慢の料理も披露してくれます(笑い)。奄美に行ったのは30年以上前。大相撲と同じように各地に巡業する中で、九州巡業の一環だったと思いますね。猪木さんも現役でした。沖縄から北上するように島伝いに、興行がありましてね。試合が終わったらリングをばらし、漁船に分けて運んだ。東シナ海は波が高くて、小さな船だと揺れがひどくてね。移動は過酷でしたが、奄美に到着したとたんに、沖縄とは違う空気感と大自然に癒やされた。それと、地図のイメージより大きなことも驚きでした。沖縄は毎年のように訪れていたけど、奄美方面は数年に一度。僕もそうですが、高揚感を抱いた選手もたくさんいたと思いますよ」

 灼熱のリングに苦戦するも、大歓迎の声援に奮起。

 「試合では、2回行ったかな。どこへ行っても黒山の人だかりでね。他の地域よりも、熱狂的で独特の指笛や熱い声援を浴びせられ、奮起しましたね。日中の試合だからマットが燃えるほど熱くなる。水を撒くんだけれど、対戦しているうちにお湯のようになってしまう。サウナ状態での試合は、きつかったなあ。前夜に繁華街で黒糖焼酎と豚肉などの料理をいただき、英気を養いました(笑い)。鶏飯ですか?もちろん大好きです。1回で10人分は胃袋に入っていたと思いますね。観光はできなかったけれど、大自然や奄美の人たちの人情は印象に残っています。いい思い出しかないですね。世界遺産登録になった奄美を、じっくりと感じられるようなツアーを組んで久々に訪ねたいなあ」

 プロレス50周年を唯一体験。故郷への思いもひとしお。

 「僕は同じ九州の大分ですが、故郷は励みで、帰った時は緊張する。自分にとって頑張るエネルギーになっている。どれだけ成長したかを見せたい、目標の舞台でもある。奄美の子どもたちの多くは、いったん島を離れると聞きます。都会などでの暮らしを、故郷に胸を張って帰ってくるための起爆剤にして、奮闘してもらいたいですね」

 藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)1953(昭和28)年12月28日、大分県東黒東郡出身。70年日本プロレス入門。ドイツ、メキシコ、米国に約3年8カ月海外修行。帰国後、日本のジュニア旋風を起こす。その後、ヘビー級に転向し、数々の名勝負を繰り広げる。通算6度のIWGPの王者に。2021年、現役で唯一50周年をリングで迎えた。ニックネームは、ドラゴン。2015年、WWE(ワールド・レスリング・エンターテインメント)に殿堂入りした。