思いを込めた手紙読み上げ、ソテツの葉を献花する一村キッズクラブの子どもたち
45年、在りし日しのぶ
キッズクラブ手紙も
奄美大島で晩年を過ごした日本画家の田中一村の命日にあたる11日、1977年に69歳で亡くなった一村をしのぶ「一村忌」が奄美市名瀬有屋の終焉=しゅうえん=の地であった。一村を学ぶ小中学生クラブ「一村キッズクラブ」が初参加し、没後45年を迎えた一村の在りし日を思い、凛とした眼差しの遺影に手を合わせた。
愛好家らでつくる一村会(美佐恒七会長)が主催。1908(明治41)年に栃木県で生まれた田中一村は、中央画壇に背を向け本土を離れ、58年に訪れたスケッチ旅行を転機に奄美大島での活動を開始。島の自然や生物をモチーフに繊細で力強い花鳥画を描き、独自の画風を確立した。
式には、会員やクラブメンバー、田中一村記念美術館職員ら15人が出席。同館の宮崎緑園長が「毎年しのんでいただけるのは幸せなこと。シマンチュが心寄せているお陰で素晴らしい関係性が築けている」とあいさつし、久保井博彦さんの音頭で献杯を捧げた。
祭壇には、一村が好んで食べた柿や絵の画材となったバショウなどが飾られ、ソテツの葉を手にした参列者が次々と献花した。朝日小4年の清水茉結さん(10)、同2年の莉紗さん(8)姉妹2人は、思いを込めた手紙も読み上げた。「幻想的な絵に驚いたことを伝えた。(クラブの活動では)一村さんのように山や木を上手く描けるようになりたい」と笑顔だった。
美佐会長(74)は「コロナ禍で静かな年が続いているが、来年からはまた集落と一緒にシマ唄や八月踊りも楽しめるよう取り組んでいきたい」と話した。