奄美市で沖縄社会学会大会

「奄美―沖縄から1950年代を問い直す」をテーマに語った沖縄社会学会大会

 

 

「分離」と「統治」認識に違い
奄美―沖縄視点で米軍政下の50年代読み解く
発表やシンポ、パネル討論

 

 

 沖縄社会学会主催の「第6回大会」(同会主催、奄美郷土研究会共催)が18日、奄美市名瀬のアマホームPLAZAであった。「奄美―沖縄から1950年代を問い直す」と題し、発表やシンポジウム、パネル討論を通して研究者らが議論。50年代、米軍政下で沖縄に渡った奄美出身者らに焦点を当て、日本復帰や返還で揺れる人々の感情や社会情勢を読み解いた。

 第二次大戦後、米軍政下に置かれた時期を奄美では「分離期」、沖縄では「米軍統治期」と呼ぶなど、双方の捉え方や認識には違いがある。大会では、奄美・沖縄を行き来した両島を知る先人に着目し、社会学的に問い直そうと企画。会場では約50人が耳を傾けた。

 1948年、小学生時に家族で沖縄に移住した旧住用村市出身で奄美郷土研究会の森紘道さんは、米軍と共存する当時の沖縄の街の様子を、自らの体験談と重ねて紹介。暴力や性的暴行など、目の前で横行する米兵の犯罪の数々に「米兵でなければ人にあらず。私はそう感じた」と反発。コザ暴動などを経て米軍基地の撤退ありきで返還を迎えた民意には、「沖縄の復帰は現在も進行形だ」と訴えた。

 沖縄での解放運動に大きな影響を与えた笠利町出身の林義巳が残した回想録を手掛かりに満州大連鉄道工場での林の体験に注目した立命館大学研究員の佐藤量さんは、「満州の多様な植民地状況、権力を目の当たりにしたことが復帰運動につながったのでは」と推察。永住権申請書など奄美出身者の処遇改善などに奔走した加計呂麻島出身で琉球政府副主席・稲遺伝子研究者の泉有平を取り上げた琉球大学教員の野入直美さんは「泉は復帰運動とは異なる文脈で、政府の力を取り込み離島の開発を図った。(奄美、満州を経て)外地経験があったことは大事な要素だ」と説いた。

 パネル討議では3人が登壇し「戦前戦後を語る上で奄美と沖縄をつなげてみる視点がこれまで欠けてきた」と訴えた。質疑では当時を知る市民からの経験談なども相次いだ。