徳田虎雄氏の棺の周りで拝顔して別れを惜しむ参列者たち=21日、徳之島町亀津の斎場
エネルギッシュに奔走・燃焼した生前をしのばせる遺影
【徳之島】10日に死去した医療法人・徳洲会創設者で元衆院議員の徳田虎雄氏(享年86歳)=徳之島町亀徳出身=の「お別れの会」(徳田家主催)が21日、同町亀津の斎場であった。奄美群島内外の政財界関係者や住民ら約1400人が参列。「生命だけは平等だ」の理念を貫き、離島やへき地医療の充実、救急医療体制の構築に尽くした同氏の功績をしのび、別れを惜しんだ。22日、古里・亀徳の「徳洲神社」墓地に永眠した。
家族葬は終えているが、「生前徳之島に帰りたいと申していた。古里に帰ってお世話になった皆様にごあいさつをと、母(秀子夫人)と決めた」(次男・徳田毅氏)。遺体は19日に空路帰島。21日は親族のみで神事後、通夜形式での混乱を避けるため午後1時から同8時まで記帳・焼香・拝顔の一般参列を受け付けた。棺の横には愛用した背広と帽子も添えられ、参列者たちは同氏の功績をたたえた。
徳之島町井之川の町田進さん(76)=町文化財保護審議会会長=は「徳田氏は島の誇り。『生命だけは平等だ』の子どもたちにも分かる理念を掲げ、島にあっても安心して暮らせる離島医療の充実にも注力いただき感謝している。徳之島は徳三宝(講道館柔道・四天王の一人)など歴史に残る偉人を輩出しているが、発展途上国を含め国内外に病院を造った徳田氏もその一人だと思う。子どもたちには離島出身であっても頑張れば夢は実現できると勇気も与えてくれた」と話した。
気温約35度の猛暑下の22日正午過ぎ、亀徳で野辺の送りに参じた地元の迫田幸子さん(76)も「大きな病院を造って離島医療の充実に貢献された。もともと貧しい島の住民たちが、飛行機や船に乗って鹿児島に行く手間や費用負担も少なくなった。救急医療を含め本当に感謝しています」と目を潤ませた。
次男の毅氏は遺族を代表して会見で父虎雄氏への思いを語った。
同氏の遺体は本人の遺志に沿って22日、徳之島徳洲会病院の新築移転工事現場にも近い「徳田虎雄顕彰記念館」前の「徳洲神社」(同氏創建)の墓地に埋葬された。