断髪式に臨む、瀬戸内町出身の慶天海(提供写真)
多くの関係者たちと記念写真に収まる慶天海(提供写真)
【東京】休場明けの横綱・照ノ富士、新関脇・大の里らの躍動で連日大盛況の大相撲名古屋場所。そんな熱い土俵を前に、相撲人生を終えた力士がいる。瀬戸内町出身の慶天海(34)だ。度重なるけがに、引退を決意。このほど断髪式を行い「感謝の心を忘れずに」と次の土俵を見据えている。
慶天海孔晴(けいてんかいこうせい)、本名、慶孔晴さんが関係者120人に見守られ断髪式を行ったのは、6月23日のこと。両国国技館からもほど近い、墨田区のホテルには元十両・益荒海、元幕下・蘇ら奄美の先輩、後輩も駆け付けた。
慶さんは、3歳から地元、古仁屋相撲クラブに所属。「まわしを取ったら、とにかく動きまわれ」の指導の下、めきめきと力を蓄えていった。175㌢(115㌔=引退当時)と小柄ながら、才能を発揮。やがて相撲の名門、埼玉栄高校へ。団体戦全国制覇を引っ提げて入門し、2008年1月場所で初土俵を踏む。この頃から右肩脱臼癖に悩まされることに。
奄美の空と海をイメージして「慶天海」の四股名で土俵に立った。12年7月場所に待望の関取に昇進も、度重なるけがに24年1月場所で引退。3月6日に日本相撲協会から引退が発表された。序の口優勝、序二段優勝が2回。95場所で336勝252敗78休の土俵だった。断髪式では、120人がはさみを入れ、止めばさみは引退時の師匠・阿武松(元大道)が入れた。
さまざまな思いが去来したことだろう。「互いに十両復帰をかけた、きわどい相撲。最初に僕に軍配が上がったのですが、物言いの末、相手が勝利した」という15年1月場所の千秋楽(希善龍戦)が「その後の人生を決めただけに、最も心に残りますね」と振り返る。
鎌田愛人瀬戸内町長は「けがに苦しんだ土俵人生だったが、皆のおかげで関取までなれた。今後は、感謝の気持ちを忘れずに頑張ってほしい。瀬戸内町の誇りだ」とエールを送った。余興では、中学時代の同級生、城南海さんが登場。デビュー曲「アイツムギ」を熱唱した。
土俵をおりた慶天海は、慶孔晴さんとして葬儀関係の仕事に5月から就いている。「覚えることばかりで朝から晩まで必死。本場所も見られません」と苦笑する。相撲を通じ多くを学んだ。「なかでも感謝する大切さを教えてもらった。瀬戸内の子どもたちには、楽しんで相撲に取り組んでほしい」。後輩へ夢とエールを託すとともに、新たな土俵を見据え四股を踏んでいる。そこには物言いはない。