継続活動 北高「聞き書きサークル」

才田一男さんにインタビューする大島北高校の竹田周平さん

今年度は古仁屋高も参加
昔の生活や復帰などインタビュー

奄美市笠利町の大島北高校(有川美智代校長、生徒158人)は24日、奄美市名瀬のアマホームPLAZA(市民交流センター)で、「聞き書きサークル活動」を行った。今年度は古仁屋高校の生徒と教職員も参加。生徒13人が4グループに分かれて地元の人たちから昔の生活や、集落・地域の文化などの話を聞いた。

D班のグループでは、奄美市老人クラブ連合会会長などを務めた才田一男さん(85)に北高2年の大山崇寛さんと竹田周平さん、古仁屋高の和島海音さん(2年)と立神倫史教諭がインタビューした。

才田さんは、▽後世に残したいもの=「シマ唄、三味線、八月踊りなど」▽島口について=「島口は大事、方言は残したい」▽昔の修学旅行=「鹿児島本土だけど、お金がなかったからいけなかった」▽高校生活=「大島高校通学時は、朝2時頃起床し、新聞配達をしてためたお金で3年間の授業料を払った」―などと語った。

戦争の話では、「終戦後に沖縄からアメリカ人が奄美に来るようになった。ビスケットなどをポケットにたくさん入れていて、もらって食べたらおいしかった」と振り返った。ビスケットをもらったアメリカ人のジープを見つけると「シーハン、シーハン」と名前を呼んだところ、一番に才田さんがお菓子をもらったという。

名瀬中学校3年生の時、日本復帰の復帰パレード(名瀬古見本通り・1953年)に参加した。この時の新聞記事を持参し、「ここに写っているのは私だよ。日本の中学生になったんだよ」と言うと、インタビューした高校生たちは驚いていた。才田さんは自然と「日本復帰の歌」を口ずさみながら涙を流していた。

才田さんにインタビューした竹田さんは「日本復帰のことで詳しい話が聞けてよかった。島口を残したい、方言を残したいと思った」と話した。

才田さん以外にも地元の話者として、保宜夫さん(82)、楠田哲久(77)さん、指宿正樹(72)さん、泉和子(72)さん、安原てつ子(71)さんが協力した。