9日は、太平洋戦争で長崎に原爆が投下されてから79年目の「原爆の日」。厚生労働省は被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者数を公表しており、2023年度末(24年3月末)現在で鹿児島県は352人、前年度比28人減少した。うち奄美群島の手帳所持者は45人にとどまり、平均年齢は90歳超と高齢化が進んでいる。
厚労省によると、全国の被爆者手帳所持者は10万6825人で、前年度比6824人減少。平均年齢は85・58歳で0・57歳上昇した。都道府県市別人数をみると、最多は原爆が投下された広島市の3万7818人、次いで長崎市(1万8904人)、広島市以外の広島県(1万3457人)、長崎市以外の長崎県(7062人)など。
鹿児島県内の手帳所持者は11年度(1020人)まで千人台だったが、12年度(950人)には千人台を割り込み、13年度から23年度までの10年間では533人減少した。県健康増進課によると、県内の平均年齢は全国平均より1・95歳高い87・53歳。奄美の被爆者の平均年齢はさらに高く、県平均を3・94歳上回る91・47歳となっている。
戦時中、奄美からも大島紬を織っていた10歳代後半~20歳代前半の女性たちが、手先の器用さを見込まれて、「大島女子挺身(ていしん)隊」などとして長崎市の軍需工場などに動員され、被爆した歴史がある。確かな記録は残っていないが、長崎へ行ったのは約1200人とされ、このうち約200人が原爆で死亡、奄美に帰島したのは約500人とされている。
奄美群島の手帳所持者数は16年度末現在94人と100人台を割り込んだ。17年度以降、地区別・市町村別人数が公表されなかったが、今回の県の公表(23年度末現在)により奄美全体で50人以下となり、被爆者の高齢化の進行で、7年間で半分以下と大きく減少したことが分かった。
国の被爆者救護法により定められる「被爆者」は、▽原爆が投下された両市で直接被爆した人▽投下後2週間以内に救護・医療・親族探しなどで爆心地約2㌔以内に立ち入った人▽放射線の影響を受けるような事情の下で被災者の救護や遺体処理などを行った人▽以上3項目の該当者の胎児だった人―と定義している。
奄美市は今年も原爆が投下された9日午前11時2分、防災行政無線でサイレンを鳴らし、市民に犠牲者への黙とうを呼び掛ける。