知名町・瀬利覚字で戦没者慰霊祭

祭壇に玉串を捧げる参列者ら(18日、知名町瀬利覚字コミュニティーセンター)

75柱の冥福祈る

【沖永良部】知名町瀬利覚字で18日、戦没者慰霊祭が開かれ、日露戦争や太平洋戦争で亡くなった75柱の冥福を祈った。

慰霊祭実行委員会が主催し、毎年開催している。この日は、会場の同字コミュニティーセンターに地域住民ら約40人が集まった。

参列者は、祭壇に玉串を捧げた後、音源が残っている同字出身のジューテ(唄者)、故林池冨さんが作った「沖永良部終戦の唄」を聴いた。

林さんは明治生まれ。歌詞には、戦闘機が上空を飛び回っている様子や防空壕で不安を募らせながら暮らしたことが記されている。

実行委員会の東則雄会長(71)は「終戦から79年になる。平和の尊さを忘れないためにも戦争の悲惨さを風化させることなく、後世に伝えていきたい」とあいさつ。

同字の榊憲次区長(68)は「私も戦後生まれで戦争のことを知らない。慰霊祭をこれからも続け、林さんが作ってくれた終戦の唄を残していきたい」と話した。